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エーゲ文明

最終更新: 9月22日



イントロダクション


はしがき



タイトル


エーゲ文明

ー 古代ギリシアの祖先 ー



チャプター


1石器時代


2青銅器時代

エーゲ文明

ミノア(クレタ)文明

ミケーネ(ミュケーナイ)文明


3鉄器時代

 暗黒時代

 前8世紀のルネサンス


 

_______________




はしがき

21世紀が始まってもう20年が経ち

ました。

あなたの生活は、どんな風に変化

しましたか。

私の21世紀は、知性へのめざめで

始まりました。

秋分に61歳になりますが、40歳に

なるまでは感性だけを頼りに生き

てきて破産し、地獄を見る羽目に

陥り、やっと理性を知るに至った

のです。

無一文になったくらいでめざめら

れて、本当にありがたいことです。


それでもこの20年の道程は決して

平坦なものではありませんでした。

支えてくれたのは親族や知人でし

たが、自己を立て直す底力を呼び

覚ましてくれたのは、哲学でした。


私は古代ギリシア世界に迷い込み、

ソクラテスと邂逅しました。それ

以来今日までソクラテスを心の拠

り所として暮らしてきました。


私はソクラテスのことを多くの人

に伝えたいという思いを抱きなが

ら過ごしています。もしあなたに

お聞き戴けるなら、どれほど嬉し

いかしれません。

なぜならソクラテスの黄金の魂に

触れずにスルーしてしまうのは、

あまりにもったいないことだから

です。

前回はアリストテレスの形而上学

を綴りました。それが今から20年

前に最初に読んだ哲学書だったか

らです。それを手始めに哲学の独

学が始まりました。物事には順序

があります。その順序を思い出し

ながら、あなたに、私の見つめる

目には見えない思いを届けたくて

書きしるします。

哲学は道徳です。

小学校で習い、家庭では祖母や母

に教わった徳です。

それを思い出して、心をきれいに

洗い直す振る舞いを、節目節目に

行うのはとても大事なことです。

ご存知のようにソクラテスは古代

ギリシアのアテナイに生きた哲学

者です。

その思想に触れる前に、そのギリ

シアに最初に入植をした人々と、

古代ギリシアの生成をさらいたい

と思います。

これはソクラテスに出会うための

準備です。前知識があると、より

理解を深められるからです。

それではよろしくお願いします。

こうした思惑から古代ギリシアを

たぐりますと、生の矛盾に出くわ

します。

我々は生きるために食べなければ

なりません。歴史を振り返ると、

人類は常に闘争を繰り返し略奪を

今も変わることなく続けています

が、ギリシア人の祖先も、土着先

住民の地を破壊して奪いました。

誰もが正しい平等と平和を望んで

いますが、それを叶えるためには、

さまざまな角度から検証しなけれ

ばなりません。本当にさまざまな

事象を見つめ直さなければならな

いのです。

そして惨い事象の中から、人とし

て真の価値にめざめるのが、知恵

ある人=ホモ・サピエンスの役目

だと観想します。

エーゲ文明

Aegean civilization 古代ギリシアの祖先


石器時代

環地中海地域の旧石器時代。

古代ギリシアの地に人類が暮らして

いた痕跡が発掘されています。


前期旧石器時代(200万年前~10万年

前)で今から40万~20万年前のホモ

・エレクトゥスとネアンデルタール

人の形質の特徴を持ったペトラロナ

人の化石人類が、ハルキディキ半島

のペトラロナで発見されています。


15万~6万年前は中期旧石器時代(

10万年前~3.5万年前)に当たります

が、この時代にはネアンデルタール

人が作った石器が穴窟などで発見さ

れていて、環地中海地域にはムスティ

エ文化が広がっていたことが確認さ

れています。




5万年前の最終氷期には新人の時代

に移りました。

3万年前の後期旧石器時代(3.5万年前

~1.2万年前)には狩猟採集が組織化し、

石器の加工技術も発達しました。

洞窟壁画や女性彫刻も見られるよう

になります。

中石器時代(紀元前1万年~紀元前

8000年ないし紀元前6000年頃)は、

温暖化が進んで海岸線が上昇し、魚

の骨や釣り針のほかにミロス島から

は黒曜石の石器も発見されています。



この頃から狩猟生活から蓄える生活

への転換がはかられるようになり、

積極的に海洋に進出したと推測され、

この時代がギリシアにおける重要な

分かれ道だったと考えられています。


紀元前7000年に、ギリシアは新石器

時代に入りました。

この新石器時代の技術である農耕や

牧畜がギリシアにもたらされたのは、

紀元前6000年頃です。

これは当時の先進地域オリエントに

比べると大分遅かったのです。

そしてギリシア中東部の平野テッサ

リアに幾つかの力を持った共同体が

生まれ、農具や武器などの製造技術

も著しく飛躍していきました。

各地で金属を知り、青銅器時代が始

まって共同体が形成されました。




青銅器時代

エーゲ文明

エーゲ文明と称されるエーゲ海周辺

地域に栄えた青銅器文明は、キクラ

デス諸島のキクラデス文明が紀元前

32世紀と最も古くその後、クレタ島

のミノア文明、小アジア北西部のト

ロイア文明、ギリシア本土における

ミケーネ文明へと続きました。


これはエジプトではスコルピオン1世

の後継者で第一王朝を築いたファラオ

ナルメルが国家を創立し、主政の基礎

が敷かれた時代にあたります。

我々がギリシア人と称している民族

は、紀元前2000年頃に東欧からアジ

アに至る地域の何処かに住んでいて、

そこからバルカン北部マケドニアを

経てギリシア本土に入りましたが、

彼らはインド・ヨーロッパ語族に属

するアーリア人でした。

ギリシアに侵入したギリシア人の祖

先は土着先住民ペラスゴイ人の地を

侵略して破壊しました。


ミノア文明(クレタ文明)

そうした中にあってギリシア南方の

エーゲ海に浮かぶクレタ島は被害を

免れました。

ギリシアの地を手中におさめたギリ

シア人の祖先は、このクレタ島で、

輝かしく発展したミノア文化を目の

当たりにしたのです。

エーゲ海域の文明のうちクレタ島を

中心とする文明を、ギリシア本土の

ヘラディック文明に対して、クレタ

の伝説的な王ミノスに因んでミノア

文明と呼びます。


大別して前期(前30~22世紀)・中期(

前21~17世紀)・後期(16~12世紀)に

分けられ、前期には銅の使用が広が

り、中期には青銅器が普及しました。


近隣諸国の文化と一環を為しながら

も、ミノア文化は独自の比類ない形

態を育んでいました。

それはメソポタミアやエジプトの本

質を残しつつ他の一切を削ぎ落とし

た今までにない新しい表現でした。

壮大で厳格で気高く隙のない硬質な

形式に対して、人間的な温もりを持

つ柔軟なクリエーションだったので

す。

神話によれば王は代々ミノスと名乗

りました。

美しい宮殿が幾つも建設され、専制

君主制が誕生しました。

迷宮ラビュリントスの伝説を残す建

築技術の見事な宮殿は、富と支配の

象徴でした。

このことから支配する側と支配され

る側の二分化が始まっていたことが

わかります。

宮殿は城壁を持ちませんでしたが、

強大な海軍と交易船団を携え、オリ

エント貿易を独占してエーゲ海一帯

に海洋王国を建立していました。

本土の地方が従属したかどうかは不

明ですが、多くの島を支配し、植民

地がいくつも存在したことは疑いあ

りません。

また文字を所有し、絵文字から音節

文字へ進化させた線文字Aがそれで

した。

王の代理人である書記以外は解読で

きない文字は封建的君主制を支える

官僚機構のもとで発達しました。

この線文字Aは未だ解読されていま

せん。

紀元前1700年頃、地震とサントリニ

火山の爆発でクレタは壊滅しました

が、直ぐに短期間のうちにそれまで

以上の規模のクノッソス新宮殿が再

建され繁栄しました。

しかし紀元前1600年頃には、木材の

大量伐採で自然環境が破壊されて、

衰退を招きます。

栄華を極めた文明は紀元前1400年頃、

クノッソス、ファイストス、マリア

の宮殿が次々と火災に遭い、崩壊し

ます。

サントリーニ島で発生した火山の大

噴火の時期が一致することから、そ

れに伴う地震や津波が原因ではない

かと考えられています。

また次のエーゲ文明の担い手となる

本土ミケーネのアカイア人がクレタ

島に侵攻したためともいわれ、ミノ

ア文明が滅んだ本当の確証は得られ

ていません。


歳差運動の牡牛座にあたる時代な

ので、特にクレタ島では牛が神聖

化されました。

クノッソス宮殿は、ミノタウロス

伝説の舞台です。




ミケーネ(ミュケーナイ)文明

ギリシア人の祖先は、クレタ島のミ

ノア文明を吸収しながら、独創的な

文化を築き上げていきました。

紀元前1450年頃、ギリシアのペロポ

ネソス東部の都市国家アルゴス(現在

アルゴス=ミキネス市)に、ギリシア

文明の先駆となるミケーネ文明が、

誕生します。


紀元前15世紀にはクノッソスを、紀

元前14世紀にはキュプロスを支配下

におさめ、シリア、小アジアに進出

していきました。

このミケーネ文明を築いた「最初の

ギリシア人」をアカイア人と言いま

す。これはホメロスが叙事詩の中で

呼んだ名称で、起源は不明です。

彼らは線文字Aに似た別個の線文字

Bを所有しました。

ピュロス地方から出土した大量の粘

土板の文字は人口の調査、財産目録、

食料、土地の割当などの細かい規約

などで、メソポタミアで発見された

ような宗教文書や神話や歴史的叙事

詩は皆無でした。

王はワナクスという称号を名乗り、

専制君主であり、神であり、経済全

体を統率、管理する支配者でした。

高官・武官・行政官など官僚制度が

厳密に規定され、奴隷を保有し、身

分・職業が細分化された制度のもと

に成り立つ社会構造を形成して、栄

光と繁栄に輝くミケーネ文明を開花

させたのです。

鉄器時代



暗黒時代


紀元前1230年頃から紀元前1200年頃

には、エーゲ海の両岸を焼き尽くす

激しい戦争がありました。地層から

戦闘の痕跡が発掘されています。

これがミケーネ文明末期のトロイア

戦争です。

ギリシア人を、十年間もトロイアの

城壁に釘付けにした理由は何だった

のでしょうか。

それはトロイアが、小アジア北部の

ヒッタイト帝国や地中海一帯との貿

易で、巨万の富を蓄えていたことで

した。

ギリシア人の目的は、トロイアを植

民地にして支配することではありま

せんでした。徹底した大略奪だった

のです。古王国の帝国主義は軍事で

はなく、経済帝国主義だったのです。


しかしこの頃「前1200年のカタスト

ロフ」が起きてヒッタイトが滅亡し、

これによってこれまでヒッタイトだ

けが所有していた製鉄の生産技術が

他国に伝播し、青銅器時代は終焉を

迎え、鉄器時代が始まることになり

ます。

この社会の大変革の発生で、東地中

海は分裂と経済衰退に襲われ、各地

で新たな時代への変動が余儀なくさ

れました。

紀元前1200年から紀元前700年まで

の長い暗黒時代に突入します。

ヒッタイトは壊滅し、エジプトも衰

退します。

ミケーネ文化も崩壊し、住民は極度

の貧困に陥り人口は半減しました。

環地中海周辺の古王国の滅亡の原因

ですが、これまでに多くの学者が、

イリュリア民族移動や海の民(エジプ

トの文献に記された呼称)など、さま

ざまな学説を打ち立ててきましたが、

結論には至っていません。


廃墟の中から次第に自給自足の小さ

な共同体が生まれていきます。

専制的権力を手中におさめて王と呼

ばれた指導者バシレウスは、今や、

戦争の指揮を摂るに過ぎない族長に

変貌していました。


紀元前10世紀から紀元前9世紀も、

小国家の分立で、混乱は永続化しま

した。

しかし別の見方をすれば暗黒時代は

ミケーネ文化時代の宮廷中心の垂直

的社会から、都市国家を中心とする

並列的なポリス社会への移行を準備

する期間だったともいえます。




前8世紀のルネサンス


そうした中、暗黒時代という名称に

反して鉄がギリシアでは紀元前13世

紀末に登場し、紀元前9世紀頃には

鉄器が普及し製作が盛んになって、

徐々に復興へと向かい始めました。


ギリシアはエーゲ海、地中海によっ

て非常に細かく分割され多くの入り

江が食い込み、その一つ一つが部分

に分かれて都市国家を形成しながら、

一つの国土が連なっている地理的条

件のもとに成り立ち、多種多様な民

族性が培われ、家父長制度を脱して、

法律のもとに統合されていきました。

そして自由を得た「個人」を生成す

る共同体へ発展していったのです。



トルコの支配下にあったイオニアに

は一人の詩人も現れませんでしたが、

アテナイにやって来たのはこのイオ

ニア人でした。


スパルタにやって来たのはドーリア

人で、ペロポネソス半島に入って、

土着民である原住民を征服し、ヘイ

ロータイ(奴隷)にしました。

この時代は全く文書がないために、

背景をうかがうのは難しいのですが、

幸いにもアテナイ郊外のケラメイコ

スが歴史時代から絶えず墓地だった

ことから、副葬品として出土する土

器で年代をたどることができました。


暗黒時代当初は、ミケーネ時代の栄

華をどこにも汲み取ることのできな

い亜ミュケーナイ土器に変化するの

ですが、原始幾何学文様土器、初期

幾何学文様土器と次第に発達し、紀

元前8世紀に入ると、歴史の曙に立つ

幾何学文様土器の完成を見ることが

できます。

これが、ギリシア古典時代の文化の

出発点にあたります。





この出発点にはもう一つの重要な文

化の完成が語られねばなりません。

それは文学の誕生です。


文学は幾何学文様土器の経路と同じ

ような過程を辿って完成したと推測

することができます。

暗黒時代は、ホメロスの二大叙事詩

『イーリアス』と『オデュッセイア』

の成立とともに終わりを迎えます。


この2つの傑作以外は、それ以前の

ものも同時代のものも全てが消滅し

ていて現存しません。

この叙事詩の成立は「前8世紀のルネ

サンス」と呼ばれるギリシア文明に

おける決定的な分岐点なのです。




さてこの続きは、「ギリシア古典文

学のはじまり」として次回に話した

いと思います。



英雄の運命は、神話の神々の采配に

よって定められました。



神話こそが哲学の母胎です。


神話、伝説は、想像がつくり出した

虚構の物語ではありません。


それは史実に基づく世の歴史です。






参考文献

ギリシア・ローマ古典文学案内  

高津春繁 斎藤忍随 著

岩波文庫別冊4


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