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中秋の名月

最終更新: 2019年1月4日








月の架け橋

観月

わたしの中秋の名月というと観月能


で、等々力の満願寺に出かけるのを

毎年、楽しみにしていました。

ご縁があって、五十六世 梅若六郎を


観能していました。

薪能もよいですが演者と観客の間に


距離感が生まれます。本堂を即席に


仕立てた舞台では境界の線引きが曖


昧で、観る側も結界を共にしている


感があり、今でも思い出が飛来する

ことがあって未だに懐かしんでいる


のです。それは暗い夜の参道、湿っ


た土と草木の蒸れた匂い舞台を囲む


蝋燭、能衣装の衣擦れの音、シテの


地を這う野太い謡いと地謡と囃子、

そして睡魔

・・・夢か現か・・幻か・・・


中秋の名月の演目といえば、

融と姥捨、三井寺、井筒・・・。

どれも情念の結晶体。名作です。

平安時代の左大臣源融とその邸宅で

ある河原院をめぐる伝説を題材とし

荒廃した嘗ての河原院跡に月明かり

の夜、融の霊が現われ情緒ある詩的

な舞が繰り広げられる


姥捨

わが心 なぐさめかねつ 更科や

姨捨山に 照る月を見て 

         読み人知らず

その昔、更科の姨捨山に捨てられた

老女の霊が中秋の名月の夜、都から

来た旅の男の前に姿を現し、澄んだ

夜空に輝く満月の光の下で、老いた

女の霊が美しく舞う

三井寺

中秋の名月。琵琶湖の水面には清く

澄んだ満月が映り、湖畔には三井寺

の鐘の音が聞こえてくると秋の情趣

に感を催した我が子を探す物狂いの

母は、風雅に舞いはじめる

井筒

旅の僧が訪れた在原寺で出会った

在原業平の墓に水を手向ける女は、

業平にゆかりのある井筒の女の霊

再び現れた井筒の女は業平の形見

の衣をまとって舞う

能は狂言と共に南北朝時代から現在


まで継承され明治以降、能楽と呼ば


れていますが江戸時代までは猿楽と


呼称されていました。

あの世とこの世を橋掛りで往来する


異界を抽出し、歌舞を伴う抽象的な


演技で劇的な展開を構成する能は、

自国においてはトラディショナルで


も他国の眼には前衛に映るらしい・


・・のです。

彫刻家ロダンの美しい弟子カミーユ

ルナティックなカミーユ・クローデル

その弟で劇作家 詩人 外交官の


ポール・クローデルは能を動く彫刻


と称したそうです。

それは四方八方に気魄を発して立つ


強さと不動の姿、その存在「構え」


或いは「型」、それら能の本質が時


空を超越して「劫」を表すと直観し


た芸術家の鋭い目が捉えた深い洞察


です。

能は歩行の芸術といわれます。

体全体が、流れていくリズム表現を

重視しますが、踊りません。

それは舞い。

シテがじっと舞台に蹲っている時も

静止しているのではありません。

心が舞っているのです。

世阿弥が表現の基礎とした物まねは

単なる写実ではなく、対象の本質を


抽出することを目的とする精神の


写意でした。

能の男による女表現はあくまで男の


構えであり、その声を以ってしても


女の美の高度な表現は可能であると


したように貫く美意識は優雅な幽玄


ですが男性的な力強さが支える美学


です。

激しく回転するコマは静止して見え


ますが同様に、最も美しい表現を動


かずに演ずるという独特な逆説を用


います。

死後の時間に原点を置くことで、次


元を自在にし、在りし日の生を抉っ


て定めを描きます。情念の源が白日


の下に晒される画期的な手法に主題


を見出しながら、どこまでもあらゆ


る要素が洗練されて美しい ー 。

中秋の名月


中秋の名月は旧暦八月十五日の夜の


月をいいます。農業の行事と結びつ


き、芋名月と呼ばれることもあるそ


うです。

めでる習慣は、平安時代に中国から


伝わりました。今年は十月四日で、

その翌々日の六日が今年は満月。

中秋の名月と満月の日付は、その


年によってずれが生じます。

十三夜は旧暦・九月十三日の夜で


日本では、その夜もお月見をする


習慣があります。


十三夜は


後(のち)の月、豆名月、栗名月とも


呼ばれ、今年は十一月一日です。


お月見の風習は、

韓国やベトナムにも伝播しました。


観月の宴は9世紀の文徳天皇の頃に


始まりました。供物を捧げ、漢詩を


詠み、管弦を楽しみました。

船遊びも催され、池の水や杯に映る


月を眺めるのが習わしでした。


島田忠臣(ただおみ)『田氏家集』

「八月十五夜宴月」などが月の宴の


初見といわれています。

忠臣は平安時代前期に当たる9世紀


を代表する漢詩詩人で菅原道真の師


としても知られ娘 宣来子(のぶきこ)


は道真の正室でした。

日本では縄文時代から月を愛でる習


慣はあったようですが、同音の


憑き(ツキ)にも重なることなどから


忌むこともあり、平安時代以前には


祝う習慣はなかったようです。

和歌に月が詠まれ始めるのは、古今


和歌集からです。

夕月夜 小倉の山に 鳴く鹿の

声のうちにや 秋は暮るらむ

紀貫之


こむといひしばかりに長月の

有明の月を まちいでつるかな

素性(そせい)法師


月夜には それとも見えず梅の花

香をたづねてぞ しるべかりける

 凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)

時代は下り、江戸時代には世俗でも


月見は行われ、十四日を宵待と言い


翌日の天候が判らないので、先ずは


この夜に月を仰ぎました。

十五夜には団子を拵らへ


尾花(すすきの花穂)などを供へて


月を迎えます。隅田川に舟を浮かべ


ることもありました。

中秋節

陰暦八月十五日は秋の半ば即ち中秋


にあたり中国では月を祭る日とされ


てきました。

古くから観月の習慣はありましたが

中秋に固定化したのは唐代以後で、

中秋の月が一年中で最も美しい月と


され、初めは高楼等に登って月を眺


めながら酒食を楽しむものでした。

唐代には白居易、杜甫などが中秋の


名月を詠んでいることからも月見が


盛んだったことがわかります。

白居易 

八月十五日の夜、禁中に独り

直(とのい)し、月に対して元九を憶う

銀の楼台、金の楼門も


夜に静まり返っている

私は独り翰林院に宿直し、君を思う

十五夜に輝く、新鮮な月の光よ

二千里のかなたの旧友の心よ

君のいる渚の宮の東は、


波に靄がかかり

冷え冷えと冴えているのだろう

私のいる浴殿の西では、

鐘と水時計の音が深々と響く

気がかりはこの清らかな月光を

君が私と同じに見られないことだ

君のいる江陵は


土地が低く湿っているので

秋は曇り空が多いというから


源氏物語をはじめ、多くの日本の歌

人が影響を受けましたが、定家は

『拾遺愚草』に詠んでいます。


ふす床を照らす月にやたぐへけむ

千里のほかをはかる心は 定家

吉田兼好『徒然草』中にも霊感を

与わった箇所があります。


元・明の時代になると中秋節は祀り


に変化しました。清代では、元旦・


端午と共に三大節として重視される


ようになります。

庭先に祭壇を設え、


月神 嫦娥(太陰星君)を置き、月餅や


果物、瓜、鶏頭花を供えた様子が、


清代の北京の年中行事を記した

『燕京(えんけい)歳時記』に


みられます。

中国人は丸い月を団欒の象徴と考え

豊かな収穫を前にしたこの日、家族


が集まり幸せで円満な生活を祈るの


です。

中秋節神話 

嫦娥奔月(じょうがほうげつ)


嫦娥奔月とは嫦娥が月に奔(はし)る


という意味です。

物語には、色々なバリエーションが


あるので代表的なものを挙げます。

羿(げい)は中国の伝説上の弓の名人

    ※

でした。尭(ぎょう)の時代に、10個


もの太陽が昇り、大地は荒れ果て、


海は干上がって困り果てた尭は東方


の天帝(万物の創造神)帝俊に乞いま


した。帝俊は弓の名手の羿に紅色の


弓と白羽の矢を下賜し、羿は9つの


太陽を宝の弓と神の矢で射落として

人々の暮らしに平穏を戻しました。

羿は美しく聡明な嫦娥(じょうが)を


娶り二人は仲睦まじく暮らしていま


した。羿は西王母から授かった天に


上り仙人になれる薬を嫦娥に預け、


つづらにしまわせていました。


さて羿の勇名を慕い多くの人が集っ


ている中に、蓬蒙(ほうもう)という


邪な者がいました。ある夕暮れのこ


と蓬蒙は嫦娥の部屋に忍び込み不老


不死の薬を渡すよう迫ったのです。

嫦娥は無我夢中で薬を飲み干してし


まいました。すると嫦娥の体は突然


軽くなり窓を抜け出し空高く舞い上


がったのです。けれども嫦娥の羿を


思う気持ちは強く地上から一番近い


月に降り立ちました。

狩りから戻った羿は、ことの始終を


侍女から聞き、月を見上げて悲嘆に


くれました。せめて祭壇を庭に設え


嫦娥の好きだった果物などを供えて


偲びました。それは旧暦八月十五日


毎年、月明かりの下に供えました。

月宮の嫦娥は羿と故郷を想いどんな


ご馳走も優美な舞にも心を和ませる


ことはできませんでしたが、中秋に


嫦娥は宮城の門の外に出て遥か地上


の故郷を眺めると嫦娥の美しい顔が


月を輝かせ一層丸く見せたのです。

『淮南子』外八編には月の宮は余り


にも閑散としていたため、月に住む


伝説上の住人 呉剛に桂を伐採させ

玉兎に薬をつかせて飛昇の薬を得、

人間界へ戻ったとあります。


嫦娥(じょうが)は古くは


姮娥(こうが)と呼ばれていました。

『淮南子』(えなんじ) 覧冥訓が、

中国古典記録上でこの月の天女への

最初の言及のようです。

淮南子は紀元前2世紀 前漢最盛期の

武帝の頃に淮南王劉安(りゅうあん)


が学者を集めて編纂させた論文集で

道家思想の集大成です。

その意味で独自性は乏しいのですが

「道(タオ)」の概念は水に譬えられ

以前より具体的になっていますし、

宇宙生成論も一層洗練されて具体的


です。


第六巻

覧冥訓(見えざるものについて)の

終わりに、姮娥の名が見られます。

根を抜き本(もと)を棄ててその源を

極めないのは、大事な用をなさず

無駄なことだ

とする引き合いに出されているので


すが、その部分を記してみます。

譬えば羿が西王母に不死の薬を貰っ


たのを姮娥が盗んで月へ走ったので

再び得ることができずに失望落胆し


たようなもので、これは羿が不死の


薬の生ずるところを知らなかったか


らである。何事も根本を得ることが


必要である。火を人に乞うよりは、

自ら火打ち道具を得るが好い。水を


人に乞うよりは、自ら井戸を掘るが


好い。


この巻に説明なく突然、姮娥神話が


挿入されているところを見ると既に


誰もが周知の物語だったようです。


嫦娥の神話には幾つも変種があり、

次に確認できるのは後漢です。


張衡(ちょうこう)の天文書『霊憲』

姮娥遂託身于月、

是為蟾蜍(ひきがえる)

王充(おうじゅう)思想書『論衡』

日中有三足烏、月中有兎、蟾蜍

1~2世紀までには姮娥は不死の薬を


持ち逃げし月でヒキガエルになった


月神。


羿は太陽神か三本足のカラス


あるいは


太陽光

=金のカラス

=金鵄(きんし)


と結び付けられていたようです。

日本では記紀神説で、神武天皇が、


三本足の八咫烏に誘導される話や、


その弓に止まったという金鵄に変化


しました。


「嫦娥」李商隠(りしょういん)

嫦娥は後世の9世紀の作品です。

舞台は妓館。裏切られた愛の恨みを


古い神話に託して、独特の世界観で


描かれています。

不老不死となってしまったが故に、


永遠に、孤独に光り続ける寂しさを


誘います。

嫦娥雲母屏風燭影深、

長河漸落暁星沈。

嫦娥応悔偸霊薬、

碧海青天夜夜心。

雲母を張り詰めた屏風に


蝋燭の影が怪しく映り、


一人寝の寂しい夜を過ごす

ゆらめく焔の影を眺めているうちに

夜はいつしか白み、


天の川も次第に傾いて

薄明の中、


暁の明星も沈んで消えてゆく

裏切られた心の痛みに、


夜が明けるまで星や月を眺めている

あなたは今、何処にいるのだろう

月の精・嫦娥は不老不死の霊薬を


娯しみ、空に舞いあがったという

人の世を去った嫦娥は

盗んだことを悔やんでいるだろう

青緑の海原は、青い空のようだ

それを夜ごと眺めつつ、

心も傷ついているに違いない

わたしを裏切った懐かしい恋人よ

君もまた新しい快楽をなめ

身分の高い人のもとに


身を寄せたことを悔い

寒寒とした夜を過しているのだろう


不老不死の神仙思想


嫦娥神話に見た不老不死への欲望は


道教に包摂される神仙思想で朝鮮、


ベトナム、日本、中国文化圏内の諸


民族にも伝わりました。

古代の神話はもとは信仰だった訳で


神仙思想においても同じです。

神話は今は宗教と道徳面を後退させ

芸術の中に命脈を保っています。

仙人が住むといわれた理想郷は東海


の瀛州(えいしゅう 転じて日本)、


方丈、蓬莱の三神山と仙女西王母の


西方の崑崙山。

仙人の境地に達する方法は、

導引

(静坐 呼吸 筋肉運動などの養生法)

行気

(特殊な呼吸法)


服餌

(特殊な食物の摂取)

これらを実行して心身の修練を積み


金丹など仙薬の服用で空中飛行など

超自然的能力を得て昇天を目標とし


ました。精神的には世俗を超越し、


宇宙の最高原理 道(タオ)との合致が


目的でした。


日本が縄文から弥生に移り変わる頃

斉国を合併した秦の始皇帝は斉出身


の方士 徐福の説に迷った挙句に、


仙薬を求める許可を与えました。

徐福は三千人の若い男女を含めた船


隊を東海に率いて桃源郷を目指しま


した。日本には至る所に徐福伝説が


残っていますが漂着地はどこだった


のか、ロマンのある伝説です。

方士は武帝の世では竈(かまど)の神


を祭り鬼神を招き丹砂(硫化水銀)を


化合して黄金をなし、延寿するよう


推奨しました。しかし通常、水銀は


人体に有害なので唐の皇帝は何人も


命を落としています。その一方で、


金丹の研究は医薬学や本草学の発展


に寄与しました。火薬の発明もその


副産物でした。

『桃花源記』は東晋の


陶淵明(とうえんめい 365年~427年)


の伝奇的散文です。

桃林の奥に秦の乱を避けた者の子孫


が、世の変遷も知らずに平和に暮ら


している仙境があって、道に迷った


漁夫が迷い込む話です。

老子の小国寡民のユートピア思想が


描かれ、ウルグアイのムヒカ大統領


を彷彿させますが、日本の古代文化


人に大きな影響を与えました。

神仙思想

神仙思想は、日本へは主に帰化人や


書物を通じて伝えられました。固有


の伝説や民話も後から神仙譚として


解釈し直されたものも少なくありま


せん。影響が明らかな伝説を見てみ


ましょう。


『日本書紀』には


雄略天皇が葛城山で会った

一言主神(ひとことぬしのかみ)を

蓬仙(ひじり)と記しています。

聖徳太子が片岡山で見た飢者が真人

    ※

話には、尸解仙(しかいせん)の説が


見られます。


垂仁天皇の命で


田道間守(たじまもり)が不老の妙薬


橘の実を求めた常世(とこよ)の国は


神仙の秘区でした。

空海『聾瞽指帰(ろうこしいき)』は

宗教的寓意のレーゼドラマで儒教と


道教と仏教の優劣を論じて出家宣言


とした書です。

その中で、道教の箇所で虚亡隠士を


創作し天尊の隠術、養生久存の術に


触れ、秦始皇帝や漢武帝が長寿不死


を求めたことを批判し、神仙思想を


あからさまに捉え記しました。


空海(24歳798年)初著『聾瞽指帰』真筆 国宝金剛峯寺蔵

神仙思想は他に、役行者の修験道の


実修にも反映しています。


本日の中秋の名月は、観月能からは


じまり、嫦娥神話を経て神仙思想が


日本に与えた影響へリンクしました


が最後は、仙境の乙女らの清んだエ


ロースを垣間見ながら終えたいと思


います。


君を待つ

松浦の浦の娘子(おとめ)らは 

常世の国の

海人娘子(あまおとめ)かも

大宰府の大伴旅人からの書簡に奈良


の都の吉田宜(よろし)が返した文に


添えられた歌のひとつです。

雄略紀の雄略天皇22年(478年)秋


七月の条で海若(わだつみ)神の女と


出会い、蓬莱山に着いて仙人を目の


当たりにする話は、浦島の子


伝説の始まりといわれています。

海底神のこの国は現在なら宇宙人の


住処と考えられる気もいたします。

このような異郷に滞在する物語を


仙境淹留(えんりゅう)譚とも言い


ます。

青木繁 わだつみのいろこの宮

唐代の伝奇小説の祖といわれる


張鷟

(ちょうさく7世紀後半~8世紀頃)

『遊仙窟』は、

佚存書(いつぞんしょ)です。


遣唐使が持ち帰っていたことから、


日本では奈良時代以降に貴族や文人


の間で盛んに読まれたことが万葉集


などから窺えと言います。

         ※

文体は華麗な駢文(べんぶん)でその


間に84首の贈答の詩を挿入し、恋


の手管を語らせます。会話には当時


の口語が混じり、一人称で語られる


遊里文学です。

主人公の張生が君命を奉じて黄河上


流に到る途中で神仙の窟に迷い込み


崔十娘 (さいじゅうじょう)とその


兄嫁から心のこもった持て成しを受


けて、官能的な一夜を過ごす上品な


愛欲の物語です。品位はあるにして


も明らかな性の描写は、文学上の


初見だったかもしれません。

万葉集編纂の一人である大伴家持が


坂上大嬢(おおいらつめ)に贈った歌


にも色濃い影響が伺えます。

夢の逢ひは 苦しかりけり

おどろきて 掻き探れども

手にも触れねば 大伴家持

次回予告 かぐや姫

月に奔った嫦娥とかぐや姫の昇天が


似ていることから一説では日本最古


の物語と言われている『竹取物語』


起源を、嫦娥神話に求める節もある


ようです。

狂おしい​かぐや姫の話を綴るには

夜も大分更けましたので十三夜


譲ることにして、中秋の月影の下


今宵は眠ることにいたしましょう。

十一月一日は、狂騒的な月物語を

かぐや姫を籠に入れ育てる翁夫妻17世紀末江戸時代後期メトロポリタン美術館蔵。

月夜話、十三夜に続く・・・。


中国の古伝説上の聖王

暦を作り治水に舜(しゅん)を起用し

のち位を舜に譲った 舜と共に中国

の理想的帝王とされ尭舜と並び称す

張衡 (78~139)

文人 天文学者

天文において渾天説を明確に論じ

渾天儀(天球儀) 候風地動儀(地震計)

などの機器を考案

円周率の近似計算でも知られる

方士

方術使い 道士 仙人(古くは僊人)

真人

尸解仙

一旦、死んだ後、蟬が殻から脱け出

すように生返り、他の離れた土地で

仙人になること

聾瞽指帰(ろうこしいき)

出家を反対する親族への出家宣言書

前漢の枚乗(ばいじょう)

『七発(しちはつ)』の

「発瞽披聾而観望之也」に由来

佚存書

中国では失われたが日本や朝鮮など

に伝存していた漢籍

駢文

駢儷文とも

駢=二頭馬の並び 儷=夫婦

四字句か六字句を多く用いる

対句を用いて均等美がある文章

『古事記』序や、空海の漢詩文集

『性霊集(しょうりょうしゅう)』

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