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十三夜・儚き詩情

最終更新: 2019年1月5日



本朝十三夜

今宵は陰暦の九月十三日 十三夜

十三夜は、日本独自の習俗です。

日本の美意識は、不完全性をよしと


した引きの美学です。

崩し・欠け・未完といったこれらに


は、完全なものには見出すことので


きない特別な情趣があります。

これらは「負」のものたちですが、

そこには一層の愛着を喚起させる愛


しみが存在します。

愛という文字は、いつくしみ・かな


しみ、とも読みますが日本人の繊細


な感受性の機微はこうしたところに


発見できます。

満たないものを補おうとする欲求が

活動を育み活発化したとき、新たな


創造が生まれるのだとすればコンプ


レックスや欠如こそ、その母体とい


うことになります。


完全、完璧はソフィスケートされる


余地が残っていないので親しみには


欠けてしまうのです。

十三夜の宴のはじまり

晩秋から冬に向かう最後の月をなご


り惜しんで心を遊ばせた古人は、優


雅な感興を楽しむ情緒を知っていま


した。

十三夜は後(のち)の月とも呼ばれ、


この月見の宴が催されたのは10世紀


初頭のことです。

藤原宗忠の『中右記』によれば偶然


ある年の九月十三日の明月を愛でて


いた宇多天皇の発意でこの日を名月


の夜と定めるとした、という記述が


あります。

今夜、雲浄く月明らかなり。ここに


寛平法皇 今夜、無双の由、仰せ出


だされて我が朝には九月十三日夜を


以て、名月の夜となすなり。

寛平法皇=宇多天皇


または、醍醐天皇が催した清涼殿の


宴が挙げられますが、これは十三夜


と文学が結ばれた早い例です。

『躬恒集』に清涼殿の南の端に溝が


あり水が流れていて海岸に見立てた


庭がある。

延喜九年九月十三日に祭りをした。


題は月に乗りささ(細)ら水に遊ぶ。


詩歌は心に任す


とあり、ももしき(宮中 皇居)の


大宮ながら八十島(多くの島)を見る


心地する秋の夜の月

と詠じたことに伺えます。

十三夜を愛でる習慣が生まれた背景


には、遣唐使を廃止し、国風文化に


重きをおく時代への変容が見逃せま


せん。


醍醐天皇は親政(天皇が行う政治)を

敷き、右大臣に菅原道真を登用し、


延喜の治と称される理想的な治世を


行い、古今集、延喜格式の編纂もな


されました。

十三夜の詩歌のはじまり

十三夜という詞(ことば)を歌の中に


挿入した始まりは『本朝無題詩』


巻第三 藤原忠通の漢詩と考えられ


ます。

『本朝無題詩』は平安末期の漢詩集


で、忠通の意向で編纂されました。

忠通は崇徳天皇の御代の大治元年


(1126年)の九月十三日に


詩宴 月明酒城中 を催しました。

今から九百年ほど前の夜の事です。

今夜見るのと同じ月を仰ぎ、歌合し


て過ごしたのです。

和歌や倭歌は漢詩に対比される日本


語詩を意味して造られたのですが、

まずは十三夜の歌の始まりにあたる

漢詩をご紹介します。

九月十三夜翫月


閑窗寂寂月相臨

從屬窮秋望叵禁

潘室昔蹤凌雪訪

蔣家旧径蹈霜尋 十三夜影勝於古

數百年光不若今

獨憑前軒迴首見

清明此夕價千金

試釈

九月十三夜、月に戯れる

静かな窓辺にて月を臨む

晩秋の寂しい景色に

耐えがたい思いが飛来し

月が雪のように光りを降らせる夜

その雪を凌ぎ

潘岳の居の古き跡を訪ねてみたい

霜のように月光を敷く夜にその霜を

踏みしめ

蔣詡ゆかりの小道を尋ねてみたい

九月十三夜、ことにこの月の光は

言葉にし難く いにしえにも勝る

この数百年の間にも、今夜の月には

及ぶまい

一人、軒に寄り掛かり振り向いて

仰げば

清らかに さやけき月は 価千金


潘岳(247〜300)中国 晋の詩人

妻の死を悼んだ「悼亡詩」で知られ

美男の代名詞ともされる。

讒言により刑死。

蔣詡(しょうく)旧径

蔣詡三径の故事で、漢の蔣詡が庭に

三筋を造り松・菊・竹を植えた庭園

の小道。隠者の庭や住居


月下有感

清月九月十三夜

天冷星稀叶四望

射影訪窓臨暁枕

餘輝繞壁満秋堂

長安遠近千家雪

洛邑東西万井霜

倩見雲間晴去色

明珠在匣□中央

試釈

月の下にありて想う

月の清らかな九月十三夜

天空は冴え渡り 星もまばらで

はるかにながめわたすのが叶う

月影が窓辺に訪れ 

暁方の枕辺にさしこみ

壁をめぐって

秋色に包まれた部屋に満ちる

それはまるで 都に遠くまた近く

すべての家々が雪を冠ったかのよう

であった

それはまるで

東西に整然と立ち並ぶ都に

霜が降りたかのようであった

雲の晴れ間の月をよくよく見れば

それはまるで美しく輝く宝の明珠を

箱から取り出したかのようであった


詩に興り 礼に立ち 楽(がく)に成る


と、孔子(論語)は説きました。それ


『詩経』に載っているような優れ


た詩の暗誦のことで、人格を高める


ために学ぶべき順序を述べた有名な


語句です。まずは詩から興奮を得て


生命の息吹を呼び覚まし、次に礼を


学ぶ。神への儀礼に始まり広く人間


社会の秩序を保つ規範を学んで道徳

を身につけよ。最後に音楽を学び、


心を和やかにして情感を豊かにする


とよい。この順で学び人間性を美し


く育むようにと鼓舞しています。

樋口一葉『十三夜』

片苦しい話が続いてしまったので、

近代の浮世に視線を向けましょう。

片見月という言葉を聞かれたことが


あると思います。十五夜と十三夜の


両方を祝わないと縁起が悪いとする


風習で、一葉の『十三夜』描かれて


いますが、その始まりは江戸時代の


遊里の遊女たちが流布したといわれ


ています。十五夜に来た客に十三夜


にも来てもらう手練手管だったと、

いわれています。

樋口一葉の『十三夜』は明治28年


12月の文藝倶樂部 臨時増刊に掲載


された閨秀(女流)小説ですが十三夜


と聞くと、この物語を思い浮かべる


人も多いのではないでしょうか。

身分違いの上級官吏に見初められて


嫁いだお関は、子を産んでより夫の


言葉の暴力に耐えかねて、十三夜に


単身で実家に帰ったのですが最後は


父に諭され、今後は息子太郎の為に


生きると心を改め嫁ぎ先に帰って行

きますが、その帰路でお関は思いも


よらない再会をします。偶然に拾っ


た人力車の俥引きは、幼い日に淡い


想いを抱き合った録之助でした。

今は違う境涯に生きる二人。


−其人それは東へ、此人これは南へ

大路の柳月のかげになびいて

力なささうの塗り下駄のおと、

村田の二階(録之助の安宿)も


原田の奧(お関)も


憂きはお互ひの世におもふ事多し。

『十三夜』の筆を下ろした一葉は、

肺結核で24歳の早逝でした。

時代は封建的な家父長制度が支配し

身分の差と女の悲哀が、晩秋に差し


掛かる寂しい風情と共に涙を誘う

名作です。


ルナティック

月には控えめで物静かな淑女の印象


さえあります。神話の宝庫ギリシア


では、狩猟と貞潔のアルテミスは、

セレネと同一視された月神です。

月の語源セレネから発展したセレニ


アコスという言葉は、精神に異常を


きたした人という意味です。

ローマ神話でアルテミスにあたるの


は月神ルナと同一化したディアナ。

アルテミス 1920年代 KIMIÉ所蔵

月から発する霊気に当たると気が狂


うという言い伝えが中世ヨーロッパ


にはありました。月に纏わる言葉の


ルナティックは狂気、常軌を逸した


という意味ですが、月の満ち欠けを


見ると精神に悪影響を及ぼすという


迷信があって、月が人の心を支配し

性格を変幻させると信じられていま


した。夜に輝く月は人の心の闇をも


照らし、陰に潜む狂気を誘発すると


信じられていたのです。

月には本来、憑くの意味があって、

神霊が憑依した状態を表します。

の語源の由来は解っていませんが


月は太陽と対で巡ることから太陽の


次(つぎ)、という説が有力です。

げつの読みは欠ける意味の闕(けつ)

に由来するともいわれています。



わたしを魅了する月の光

風ふけば 玉散る萩のしも露に

はかなく宿る 野辺の月かな

二十歳を過ぎた頃に知った和歌です

が、繊細で甚深絶妙な余情に今だに


魅了されています。特に視覚に冴え


余韻が波紋のように心に伝わり得も

言われぬ想いに霊感が呼び覚まされ


るのです。夜空を仰ぐ月ではなく、


当時の貴族は池に映る月を愛でまし


たが、一滴の水の中に宿る月には、


それよりも尚一層の繊細な趣があり


魅了されます。ひと吹きの風に砕け


散った萩の露。そのたまゆらな雫に


月が映っている・・。


それは幻の月光に浮かぶジゼル


或は、アルチュール・ランボオ


オフェリア を彷彿させ、わたしは


幻想のディメンションに迷い込み、


儚い露のなかにたゆたうのです。




かぐや姫

今宵は、燦然たる月光の化身、物狂


おしいかぐや姫を語る約束でした。

昔々、竹取翁がいました。

讃岐造麻呂(さぬきのみやつこまろ)


と呼ばれ、野山に入り竹をとっては


籠を作って生業としていました。


ある時、根元の光る竹の中から三寸


ほどの女の子を発見し、連れ帰って


嫗と大切に育てました。それからと

いうもの竹を切りに行く度に幹から


黄金が出て、忽ち富裕の身となりま


した。

一方、女児は三ヶ月ばかりで一人前


に成長し輝くような美しさで、なよ


竹のかぐや姫と名付けられました。

(発端。「竹中出生説話」)

姫の美しさを聞き求婚してきたのは


石作皇子、車持皇子、右大臣阿部御


主人、大納言大伴御行、中納言石上


麻呂の五人。この中から選ぶように


と翁が口説くので姫は仕方なく天竺


の仏の御石の鉢、蓬莱の玉の枝、唐


土の火鼠の裘(かわころも)、龍の首


にある五色の玉、燕の子安貝の贈り


物を各々に要求し望みを叶えてくれ


た人との結婚を約束しました。

しかし誰も叶えることはできません


でした。

この話が巷に伝わり帝のもとにまで


届き、一目見ようと鷹狩りにことよ


せ翁の家を訪れたのです。姫を見た


瞬間、帝は恋の虜となり入内をうな


がしましたが、一向にその気配は現


れませんでした。

(妻問いを並列させた一編の中心的叙

述。構想は「難題婿」の説話と類似)


こうして三年が経った春頃より姫は


月を眺めては、物想いに耽るように


なりました。心配した翁と嫗の問い


に姫は初めて自分の素性を明かしま


した。月世界の女で、故あって仮初

めに下界で過ごしていたけれども、


きたる八月十五日には、どうしても


昇天しなければならないと打ち明け


たのです。

翁の奏上で事情を知った帝は当日、


二千人の軍兵を遣わして姫の警護に


あたらせましたが、夜が更けると満


月を十倍も明るくしたような月光の


中を天女や空飛ぶ車をのせた紫雲が

近づいてきて、見守る人々が手出し


できないうちに姫は不死の薬を与え


られ天の羽衣をかけられ、忽ち人の


心を失い昇天していきました。


姫は別れに臨んで辛うじて帝に手紙


と不老不死の薬を残しました。

しかし帝は、姫を永久に失った今と


なっては薬も無用と嘆きせめて月に


一番近い地上の最高峰で焼き捨てよ


と命じました。こうして、駿河国の


日本一の高山に勅使が派遣され処理

されたのです。その煙は未だ絶える


ことなく以来この山は、


ふし(不死=富士)山と、

呼ばれるようになりました。

(クライマックスに続く結末。昇天

 構想は羽衣伝説「天人女房説話」

 「白鳥処女説話」と類似)

竹取物語の成り立ち

『竹取物語』が


『宇津保物語』『源氏物語』などに

与えた影響は計り知れません。これ


は仮名による初の恋愛小説です。

平安時代前半の作で、天皇の権威が


絶大だった時代に月世界の化身とは


いえ遂に後宮に入らなかったとする


構想は、おとぎ話としてだけでなく


好色な日々を送っていた当時の皇族


貴族など権勢家に対する諷刺小説と


いう価値を付加しています。

車持皇子は、藤原不比等を暗示する


ようですがそれは母が車持氏出身で


車持家で育ったからです。

五人の求婚者のうち石作皇子は実在


の人物か判りませんが、残る三人は


壬申の乱の天武天皇方の功労者を、


諷喩していると言われます。

物語の出てきはじめの祖なる竹取の


翁と『源氏物語』にあるように日本


最古期の物語の一つです。

民間説話が発展したと思われる


『竹取物語』を分析すると、現在の


形に成熟する前はかぐや姫の求婚者


は、他ならぬ竹取自身で、翁は若者


だったようです。

物語の成立過程を時系列に並べるの


には諸説があるので結論を急ぐこと


はできませんが民俗学者柳田國男が


指摘したように、竹の節の間から誕


生したのではなく竹藪の中で拾った


鶯の卵から誕生したと綴られている

『海道記』なども合わせて精査する


必要がありそうです。

『枕草子』でも語られているとおり


鶯が飛来して鳴く場所は梅の花です


が、常住の居所は当時は竹藪とされ


ていて、竹に雀ではなく竹には鶯が


ふさわしかったようです。

このように考えると物語を構成する


三つの民間説話である竹中出生説話


と難題求婚説話と天人女房説話の中


で、物語を貫く悲劇性と主要な本来


的テーマは、最後の天人女房説話に

あったとするのが的を得ているよう


です。

幼子が植物の中から出現する昔話は


幾つも存在しますが竹中出生説話も


同じ系譜で中国南部、東南アジア、


南太平洋など竹が繁茂し生活に密接


に結びついている地域に多く見出せ


ます。真偽はともかく、チベットの


『斑竹姑娘』が『竹取物語』の原話


ではないかと話題になったのは記憶


に新しいことですが『竹取物語』は


時と場所を超越した物語のアーキタ


イプそのものと言えそうです。

起源をどこに求めるかはさておき、


原文の気品と香りを生かした口語で


で読まれることをお勧めします。


わたしも子供の頃に接したきり要所


以外の内容を忘れていました。音読


なら尚更気持ちが注がれ物語世界へ


没入できます。


昔は人は黙読ということができず、


音読しなければ読めなかったそうで


すが、そう言われてみると神代文字


の有無は別にしても、物語の伝承は


稗田阿礼に代表される語り部による

口伝で始まったのを思い出します。

月アラカルト

ガリレオ・ガリレイの有名なスケッ


チは1610年に描かれ、同年3月13日


に出版された初著作「星界の報告」


で発表されました。

先駆者の仕事と比較すると特徴的な


地形を精密に描いたことや山の影の


長さを計測して標高を推定したこと


において優れていると言われます。

ガリレオの計測で月面の山が地球上


の山より高いことが分かりました。

十三夜の最後は、実証的な月観測で


締めくくりたいと思います。


月はフランス語で Lune ラテン語で


Lunaと言い、日本では昔は太陽の


日輪に対し太陰とも月輪(がちりん)


とも称されていました。その月は、


地球の唯一の衛星で地球との距離は

38万4,400kmです。地球の赤道を、


9周半した距離と同じで初めに発見


したのは古代ギリシアのアリスタル


コス(BC310頃 - BC230頃)でした。

天文学者・数学者アリスタルコスは


地動説を最初に唱えた人です。

コペルニクスが地動説を唱え世界を

一変させる1800年前に、地動説を

導いていた人物です。


現在、月へは有人宇宙船で3日で行


くことができるそうです。


ジェット機(時速1000km)だと約16


日を要します。

距離の測定は月面に設置された反射


器で計られています。地球の望遠鏡


からレーザー光を発射し、反射して


戻ってくる光子を捉えて、その間の


時間から割り出します。月レーザー


測距法(Lunar Laser Ranging)です。

初めて月との距離を近似値で割り出


したのは、古代ギリシアのヒッパル


コスでした。現在も使われている恒


星の等級の分類や星座を決め、歳差


運動を発見したのもヒッパルコス。

月は自転周期(1回転)と、


公転周期(地球一周)が共に27.32日で


あることから、常に同じ面を地球に


向けています。

朔望月(さくぼうげつ)は、月の満ち


欠けの1周期ですが、新月(朔)から


次の新月まで、或いは満月(望)から


次の満月までの周期のことで、大凡


29日から30日です。

この月の満ち欠けの周期は月が公転


する間にも地球は太陽の周りを運動


しているので、その分、月は余計に


公転しないと新月にはなりません。

月は地球の4/1

赤道半径は1,738km

月の表面積は、

アフリカ大陸とオーストラリア大陸

を合わせた面積よりも僅かに小さい

表面温度は場所によって大きく変化

日陰など気温の低いところ−387C

日向などは最高 253C

大気 地球の10京分の1の薄さ


質量 地球の81分の1 重さ100分の1

潮の満ち引きなど地球の環境に大き

な影響を与え重力は地球の6分の1

月でジャンプすれば、地球より6倍

も高く跳び上がることができる

月と地球は年間

3.8cmずつ離れている

かつて月は現在よりも地球の近くに

あり、より強い重力・潮汐力で影響

を及ぼし地球も月も今よりも早く

回転していた

珊瑚化石の調査によればそこに刻ま

れた日輪(年輪の日版)によりおよそ

4億年前は

1日は約22時間 1年は400日程

だったと推測されている

月と地球の誕生はほぼ同じで、

46億〜45億年前頃と推定されていま

すがその頃の1日は約8時間だった

と推測されています

地球の生命体に必要不可欠な水は存

在するのかというと

月の(Lunar water)は2009年に

NASAが月の南極に相当量を確認

ただ極地に氷の形で存在している

また現在は地質学的に死んでいて

マントル対流も存在しないようで

地球のような液状の金属核は存在し

ない

けれども約40億年前の月中心部では

溶けた鉄が活発に運動し、全体的に

磁場を発生させていた

液体の金属核の凝固で、局所的に

異常に強い地域と弱い地域が残った

と考えられ磁場は地球の1万分の1

ときわめて微弱

25億年前までは火山活動があった

のは確認されていて、チタンなどの

含有量は非常に多い

月の誕生には幾つかの説があります


が、有力なのはジャイアントインパ


クト説です。太古の地球が巨大隕石


や小惑星などと衝突し、その際に生


じた地球の破片が月になったとする


説です。

最新の研究では火星ほどの大きさの


天体が衝突した可能性が高いと考え


られています。

わたしたちは月の表面しか見ること


がありませんが、月の裏側の観測に


成功したアポロ8号の乗組員は初め


て月の裏側を見ました。その中の一


人は「月の裏側にサンタクロースが

いた」と発言しています。米国では


未確認生物のことをサンタクロース


という習慣があるので地球外生命体


を見たのではないかと、取り沙汰さ


れています。

右側が月の裏面

裏側に大きな海はない

中央上の暗部

:危難の海

中央左の暗部

:豊かの海

太陽と月の経巡りから古代エジプト


あたりで最初の学問、数学が生まれ


たとアリストテレスは『形而上学』


に記しましたが、月は古来、人類に


とって崇敬の対象だったと同時に、


時を計るための基準として、最初に


用いられました。


もう千年も、もっと前から親しまれ


てきた、日本独創の十三夜。


みなさまは今宵の月神を、どこで


お迎えになるのでしょうか?

『十三夜・儚き詩情』と題して綴っ


てまいりましたが、詩情とは何かと


結ぶなら、通常では目に見えない

無意識のパースペクティブ ー  。

真行寺君枝


『竹取物語』絵 立教大学蔵

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