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  • KIMIÉ

最初の詩人 ホメロス

最終更新: 10月21日


 

 内容


 ☆二大英雄叙事詩


 ラプソドス


 アルファベットの起源


 後世への影響


 『イーリアス』



________________




二大英雄叙事詩



現存するギリシア文学の従って西洋

文学劈頭(へきとう)に位置するのが、

ホメロスの長大な二大英雄叙事詩、

『イーリアス』(15,693行)と

『オデュッセイア』(12,110行)です。



紀元前8世紀にホメロスが作ったと

されている二大英雄叙事詩『イーリ

アス』と『オデュッセイア』の傑作

以外には、それ以前のものも同時代

のものも、すべてが湮滅(いんめつ)

して、何一つ残っていません。


ギリシア以外でも、この二つ以前の

叙事詩はただ一つがあるのみです。

それは「旧約聖書・創世記」のノア

の方舟(大洪水神話)の原型を含んだ

バビロニア神話『ギルガメシュ叙事

詩』です。



『イーリアス』と『オデュッセイア』

は、共に高度に発達した言語技巧を

駆使して出来上がった最高傑作です

が、その背後には長い長い叙事詩の

伝統が潜んでいることは疑いありま

せん。

トロイアの話だけではなく天地創造、

巨人と神々の戦い、オイディプス王、

ヘラクレスの物語など、英雄伝説の

すべてに亘って多くの叙事詩があっ

たようです。

これらの物語は叙情詩、悲劇、また

造形美術の大部分に材料を提供しま

した。

現存する32のギリシア悲劇中21篇が

これらから取材していることを鑑み

ても、その重要性が察せられますが、

不幸にしてこれらの叙事詩は、すべ

てが散逸し失われてしまったのです。




紀元前1200年頃に崩壊したミュケナ

イ文明の後、ギリシアは暗黒時代に

入り、線文字Bを亡失しましたが、

激動混乱の中で、原始幾何学文様土

器がある程度の技巧を保ち、そこか

ら新たな道を切り開いて行ったよう

に、アカイア人(ギリシア人の当時

の呼称)の伝説や歴史は、物語として

語り継がれていきました。


そしてミュケナイ時代から歴史時代

へ移行し幾何学文様土器の最盛期に、

叙事詩もまた同じような過程を辿っ

てミュケナイ時代の伝統を継承し、

発展したと考えられます。



四百年もかかって暗黒時代が明けた

紀元前800年頃、天才的な詩人ホメ

ロスにおいて伝承は結晶化して頂点

に達し、開花したものと思われます。

ホメロスの二大英雄叙事詩は、古代

ギリシアに関する歴史的知識の源と

みなされてきました。





ラプソドス



20世紀のドイツの神話学・宗教学者

ヴァルター・ブルケルトは、ラプソ

ドスを「書かれたテキストの朗読者」

と定義しました。


何が言いたいのかというと、ホメロ

スは叙事詩を実際に書いた人物だっ

たのか、それとも口承による朗唱者

だったのかという問題です。



古代ギリシアの詩は、初頭では、長

短短(ダクテュロス)で、1行が6つの

韻脚からなる六歩格(ヘクサメトロス)

による詩型を用いていました。



ラプソドス(吟誦詩人)のホメロスが、

実際に実在したかどうかについては、

確証となる文献がないのではっきり

したことは分っていません。

おそらくギリシア本土ではないイオ

ニア出身の人物で、盲目だったと考

えられています。



「ホメロス」という名の意味は「人

質」「付き従うことを義務付けられ

た者」だそうで、当時の人々は彼を

単に「詩人」と呼んでいたようです。



ラプソドスと混同する職業にアオイ

ドスがありますが、こちらは吟遊詩

人で、各地を遍歴し、楽器を奏して

詩を朗唱した旅芸人です。


アオイドス(吟遊詩人)のイメージは、

竪琴を持った歌い手といったもので、

全ての詩人が盲人だった訳ではあり

ませんが、それがギリシア文学上の

ステレオタイプでした。

アリストテレスも主張したように、

視力の喪失は記憶力を高めると考え

られていました。

またギリシアでは盲目と予知能力を

結びつけて考えました。

町から町へ遊歴する旅芸人の彼らは、

特徴的なマントを羽織り笏のような

杖(rhabdos)を携えていました。




ラプソドスという言葉は「歌を一つ

に縫い合わせる」「歌の綴合(てつご

う)」という意味のrhapsoideinと関

係があり、この言葉はラプソドスが

どのようにして叙事詩の中にさまざ

まな神話・伝説・洒落などのレパー

トリーを組み立てたかを、表してい

ます。


宮廷には語り部としてのラプソドス

がいました。

叙事詩のパトロンは武士たる貴族の

階級でした。

歌人は物語の一部を取り上げこれを

劇的にまとめ合わせ、宴席では人々

の求めに応じて、栄誉や徳といった

基本のテーマを保ちながら、即興で

歌い上げました。

歌人は記憶術に長けて暗記している

だけでは応じ切れるものではありま

せんでした。


叙事詩に出てくる事物の頭には、決

まりの形容詞、形容句となる定型句

(formula)が附帯しました。


ギリシア叙事詩では、それを必要と

する殆どの場面に、叙事詩の形式に

ぴったり合った「決まりの表現」を

持っていたことが判っています。


二大叙事詩はこうした決まりの表現

の組み合わせから成立している統語

法(シンタックス)で、歌われます。


それは和歌のように決まった一つの

枕詞が付くだけではありません。


たとえば、『イーリアス』の主人公

アキレウスなら、その名前の前に、

「脚速き」、「神に愛しまれる」、

「ペーレウスの子」など何十もあっ

て、その箇所によってその部分を満

たすように、周到な用意がなされて

いました。

『オデュッセイア』の主人公である

オデュッセウスなら、その名前の前

に「ラエルテースの子」、「ゼウス

の後裔」、「策に富む」などなどで、

曙は「薔薇色の指持てる曙」といっ

た具合です。


なぜかというと、ギリシア語は複雑

な変化をする言語なので、名詞や形

容詞の格が変わると、同じ決まり文

句でも、韻律が違って使えなくなる

ことがあるからです。


歌うにおいて、歌人はこのような表

現を無数に頭の中に蓄えて、自由自

在にそれらを駆使する能力を培って

いる必要がありました。


この日常からかけ離れた人工言語は、

長い歳月の何代にも渡る詩人たちの

努力の賜でした。




しかし、叙事詩の初期の時代では、

ラプソドスという言葉は、使われて

いなかったようで、アオイドスとい

う言葉が、この仕事の表現者に対し

て用いられていました。

使われ出したのは、紀元前6世紀頃

からで、紀元前5世紀以降の文献に

よれば、ラプソドスたちは書かれた

テクストを読み、場合によっては、

そうするように法律で強制されてい

たようです。





アルファベットの起源



言葉にはオラリティ(声による言葉)

と、リテラシー(文字による言葉)が

あります。


リテラシーという言葉は、ラテン語

から派生した英語です。

ドイツ語で、リテラシーはAlphabetisierung。

フランス語では、リテラシーはAlphabétisation、と綴ります。



多くの学者は、カナン北部 (現在の

シリア) のセム語を話す人々が、紀

元前18世紀〜紀元前16世紀には、

「子音だけのアルファベット(アブ

ジャド)」を発明したと、主張して

います。

このシステムをフェニキア人も採用

しましたが、カナン人はフェニキア

人の自称ともいわれます。


このフェニキア人が用いた22個の子

音のみを表す文字をフェニキア文字

といい、ギリシア人を通じてこれが

現在、世界各地で用いられているア

ルファベットの母体となりました。


紀元前9世紀頃、ギリシア人は、子音

字22文字だったものを24文字に増や

しました。

そこに5文字の母音記号(α,β,η,ι,ο)

を追加して、最初のアルファベット体

系を作りました。


アルファベットという名称は、ギリ

シア文字の最初の2文字(アルファと

ベータ)の名を、結合したものです。



アルファベットの起源を遡りました

がアルファベットの基となる文字を

駆使して、ホメロスは記述をしたの

でしょうか。



私たちはずっと長い間、文字を黙読

することができなかったと、以前、

松岡正剛先生から教わりました。

黙読ができるようになったのは中世

になってからで、それまでは文字は

声に出して音読して読んでいたそう

です。



私にはホメロと稗田阿礼は重なって

思い浮かぶのですが、稗田阿礼は、

難解な漢字表記も見ればすぐに音読

できたと言われています。



ホメロスについての詳しいことは、

「ホメロス問題」として、先にも記

したように現在に至るまで解決して

いないのですが、盲人だったとする

ならばオラリティを、リテラシーに

書き起こす別の人が必要になった筈

です。



ホメロスの詩はイオニア方言で書か

れているそうですが、出身地と考え

られているイオニアの西に位置する

キオス島には、ホメロス後裔の朗誦

詩人の組織団体がありました。


はたしてホメロスとは、一人の人物

なのか複数なのか、また両叙事詩の

著者なのか、文字の助けを借りて創

作がなされたのか、それはいつで、

どこだったのか、更には実在したの

かまで、その存在は謎に包まれてい

ます。





後世への影響



『イーリアス』はトロイア戦争10年

目のある49日間の話で、ギリシア軍

の総大将アガメムノンに辱めを受け

た勇士アキレウスが怒り、戦いから

身を引いてしまったことに端を発す

る悲劇です。

さまざまな英雄と神々が登場し戦争

の残酷さと英雄たちの悲劇的運命が

さながら絵巻物のように、はなばな

しく克明に描かれ、特にアキレウス

とヘクトルという対照的な英雄像が

鮮やかに浮かび上がります。



『オデュッセイア』はトロイア戦争

から凱旋するオデュッセウスが海上

で放浪を重ね苦難をなめつつ、故郷

イタケー島で待つ妻と再会するとい

う筋立てです。

複雑で冒険的要素やお伽噺的要素が

多く親しみやすいため、文学として

の価値とは別に、昔から『イーリア

ス』よりも知られています。


後世、ホメロスの二大英雄叙事詩に

霊感を得て創作された例として最も

有名な作品は、ウェルギリウスの

『アエネイス』です。

ストーリーはトロイア方の唯一生き

残った一族で、アプロディテの息子

アエネアスが、トロイア陥落後七年

の放浪の後イタリアへ上陸しローマ

の祖市ラウィニウムを建設しローマ

建国の祖になるというもので、これ

は国民的長編叙事詩になりました。

ラテン文学の最高傑作とされ、『ア

エネイス』以後のラテン文学で、こ

の作品を意識していないものはない

といわれています。

ミルトンの『失楽園』もホメロスを

手本にした叙事詩です。

『アエネイス』と『失楽園』の卓越

した叙事詩は、偉大なテーマによる

偉大な詩です。



しかしホメロスの場合は女をめぐる

争いとか老兵の帰還をめぐる物語で、

峻厳な神々しいものではありません。


だからこそホメロスの歌は生々しい

人間の業と欲望を読む者の眼前に顕

にし、いかに英雄といえども死を免

れない定めを告げ、時に壮大に時に

感応の涙を誘い、惨き人の世の儚さ

と脆弱を如実に歌い上げて聴く者の

心にカタルシスを呼び覚ますのです。




アリストテレスはホメロスの原典や

解釈に関心を抱いていました。

アリストテレスの手による校訂本を

アレクサンドロス大王は遠征の際に

所持し、珍重していたといわれてい

ます。

アレクサンドリアの大図書館では、

プトレマイオス朝の初期の王たちは

財を惜しまず写本を収集しました。

そうして比較研究がなされると、構

成の題材がまちまちで頼りないもの

であることが分かりました。


それから千年が経過した頃、忘れら

れたギリシア・ローマ古典文学が、

再び見直されてルネサンスが始まり

ます。

ボッカチオは『イーリアス』のギリ

シア語原典を発見して翻訳しました。

ボッカチオと親交の深かった人文主

義のペトラルカは、ホメロスを研究

する目的でギリシア語を学んだ最初

の大作家でした。


20世記には、『オデュッセイア』を

下敷にして内的独白、音楽的技法、

パロディなどおよそ考えられるあら

ゆる文体を駆使した緻密な構成で、

ダブリンの1日を再現した長大な喜劇

『ユリシーズ』をジェイムズ・ジョイ

スが生みました。

プルーストの『失われた時を求めて』

と共に20世紀を代表する長編小説の

金字塔といわれています。

ユリシーズの意味はオデュッセウス

のラテン語名ウリクセスの英・仏・

独語表記です。


とにもかくにもホメロスという天才

詩人が成した作品において私たちは

今日に至るまで、途轍もないほどの

文化的影響を受けているのです。





『イーリアス』



「最も古きことは、最も尊い」。

この言葉が綴られたのは、アリスト

テレスのどの本だったか忘れてしま

いましたが、それに倣って『イーリ

アス』のハイライトを、ラプソドス

いたしましょう。



『イーリアス』とは「イリオスの歌」

という意味で、イリオスとはトロイ

アの古名です。



それでは




歌え、女神よ、ペーレウスの子アキ

レウスの呪しき怒りを、そは数知れ

ぬ苦悩をアカイア(ギリシア)人に与

え、強者どものあまたの逞しい魂を

冥府へと投じ、その身は犬、すべて

の鳥どもの餌食に供し、かくてゼウ

スの御心は成就されたが、それはま

ず始めに強者たちの王アガメムノン

と尊いアキレウスが争って、離反し

てからのことであった。

かの二人を争わせたのは如何なる神

の仕業か?レートーとゼウスの御子。

かの神は王に憤り給い、おぞましい

疫病を陣中に起こし、軍兵は相次い

で倒れ行く、

アトレウスの子が神の宮守クリュー

セースを辱めたからだ。彼は娘を見

受けすべく、莫大な身代をもち、遠

矢を射るアポロンの毛糸の輪をつけ

た黄金の杖を手に、アカイア人の脚

速い船に来て、すべてのアカイア人、

いや特に軍兵の総べ手、二人のアト

レウスの子に嘆願した。 ー



物語は厳かに女神ムーサ(詩神)への

祈りから始まります。





イリオス王子パリスに奪われたヘレ

ネを取り返すべく、夫であるスパル

タ王メネラオスをはじめとするアカ

イア(ギリシア)軍がイリオスに攻め

寄せてから10年の歳月が流れました。






捕虜となった娘クリューセースの自

由を贖いに来たアポロン神の宮守の

嘆願を、ミュケナイ王でギリシア軍

の総帥アガメムノンは、無慈悲にも

拒絶すると、宮守は神に祈り報復を

乞うたのです。

アポロンはそれに応えて、弓を手に

空を飛び、アカイヤ軍の陣地に矢を

射かけ恐ろしい疫病を見舞い、大勢

のアカイアの勇者が、みるみる間に

死んでいきました。



ペーレウスの子アキレウスは予言者

から禍の原因を知り、アガメムノン

に乙女を返すよう申し立てます。


アガメムノンはやむを得ず、娘の解

放を承諾するのですが、今や自分の

妃よりも情を募らせた戦利品である

娘クリューセースを失う代償を求め

ました。


しかしアキレウスは戦利品は分配し

直すべきではない、と主張します。


そして戦う義務など無いにも拘らず、

アトレウスの二人の息子であるミュ

ケナイ王アガメムノンと弟のスパル

タ王メネラオスのために参戦してい

るのだ、と言い放ちました。

その言葉に立腹したアガメムノンは

「義務で戦うというのなら、汝無し

でも戦える。我らのために戦う戦士

はいくらでもいる」と応酬し、アキ

レウスの戦利品の乙女ブリーセーイ

スを替わりとして奪ってしまったの

です。


アキレウスは怒り心頭に発し、戦闘

から身を引き、海の女神である母テ

ティスに祈ります。



母はアカイア軍を窮地に追い込んで、

息子に加えた屈辱を後悔させるよう、

ゼウスにイリオス勢への肩入れを懇

願しに、オリュンポス山に出向きま

した。

ゼウスの妻ヘーラーは、夫とテティ

スが親密に懇談する場面を目にし、

悋気を顕に詰問しますが、息子へパ

イストスのとりなしで、辛うじて、

憤りをしずめました。



ゼウスは策を巡らしアガメムノンを

夢で惑わします。

そうしてギリシア軍は総攻撃を決意

するのでした。


両軍がまさに激突しようとしたとき、

パリスが自分と一騎討ちをする者は

いないか、と挑発して出ました。

それを見たメネラオスは、仇である

パリスの前に、望むところだと意気

込むのでした。




_______



予備知識




『叙事詩圏』


『イーリアス』『オデュッセイア』

は、トロイア戦争をめぐる長い物語

の一部です。

両叙事詩を含めて全部で8つの叙事

詩を『叙事詩圏』といいます。

一群の中の『キュプリア』に「パリ

スの審判」があります。

「トロイの木馬」は『小イーリアス』

の中にあります。

また、パリスにアキレス腱を射抜か

れて最期を迎えるアキレウスの話は、

『アイティオピス』で語られます。


叙事詩圏の中で現存するのは『イー

リアス』と『オデュッセイア』のみ

で、他の6つは断片が後世の作家に

引用されるか、2~3行がぼろぼろの

古代のパピルスの中に残っている程

度で、ホメロスより後に書かれたも

のと考えられています。




「アガメムノンとアキレウスの確執」


アキレウスがアガメムノンに硬直し

た心を貫き続けたのには、他にも理

由がありました。

アガメムノンはトロイア戦出征の直

前の狩りの最中に有頂天になって、

女神アルテミスに不敬となる言葉を

漏らしたことから、女神は逆風を起

こし兵団が出発できないようにして

しまったのです。

そこで、占うと「娘を生贄に捧げよ」

と神託が降りました。

アガメムノンは悶え苦しみましたが、

娘を犠牲にする決意をします。

そして嘘の手紙を、后クリュタイム

ネーストラ(父はスパルタ王テュンダ

レオース。ヘレネと異父姉妹)と王女

イーピゲネイアの処に届けたのです。

手紙には、アキレウスとイーピゲネ

イアの縁談がまとまったと認められ

ていました。

しかしそれが偽りであることが発覚

すると、いたいけな王女は、それも

我が勤めと我が身を捨て国のために

犠牲になることを承諾したのです。

イーピゲネイアは、半狂乱になって

嘆く母と、義憤から助命を叫ぶアキ

レウスをなだめ、気高く、婚礼の衣

装を身に着けたまま、祭壇で命を落

としたのです。



「パリスの審判」


なぜパリスはヘレネを略奪したので

しょうか。


トロイア王子パリスが、スパルタ王

メネラオスの妃ヘレネを略奪したこ

とから勃発したトロイア戦争はその

そもそもの発端は、一個の「黄金の

林檎」でした。



アキレウスの父親は、プティーアの

王ペーレウスで、母親は海の女神の

テティスでした。

この二人の結婚式が執り行われてい

たとき、唯一人招かれなかった争い

の神エリスは、夜の女神ニュクスの

子ヘスペリデスの「黄金の林檎」を

「最も美しい女神へ」と書いて投げ

入れたのです。



この林檎をめぐりヘーラー、アテナ、

アプロディテの三美神が激しく対立

したので、ゼウスは難渋し、仲裁に、

イリオス王プリアモスの子パリスに

審判を委ねたのです。


三美神は、パリスにそれぞれが賂で

買収を試みますが、その中から「最

も美しい女を与える」と約束した、

アプロディテに、勝利の判定を下し

ました。

そうしてパリスが選んだのが、スパ

ルタ王メネラオスの妃ヘレネだった

のです。



「パリスの出生」


アレクサンドロス(後のパリス)を生

むとき、后へカベーは燃える木を産

み、それが燃え広がってイリオスが

焼け落ちるという、不吉な夢を見ま

した。

占い師は「この子は災いの種になる」

と告げたので、王は我が子を殺す命

令を下しました。

しかし家来はそれを不憫に思い、イ

デー山に捨てたのです。

アレクサンドロスは羊飼いに救われ、

パリスと名付けられました。

成人後に出生の秘密が明らかとなり、

再び王宮に迎えられることになり、

両親は溺愛して償いました。


パリスの審判では、アプロディテは、

「最も美しい女」を与える約束をし、

へーラーは「君主の座」を、アテナ

は「戦いの勝利」をそれぞれが約束

しました。

パリスがアプロディテの褒美を選ん

だ理由は、「王と兄たちが平和に治

めているのだから君主の座を欲しい

とは思わない。羊飼いに、戦いの勝

利は必要ない」と考えたからでした。




「絶世の美女ヘレネ」


ヘレネは、表向きでは、スパルタ王

テュンダレオースと王妃レーダ(他説

メネシス)の娘ですが、実は本当の父

親は、ゼウスでした。

まだ10歳の頃にヘレネはアテナイ王

テセウスに誘拐されたことがあった

ほど、その美貌はギリシア中に知れ

渡っていました。

そうして求婚者が溢れかえりました。

イタケー島の王で知恵者のオデュッ

セウスの提案で、誰が選ばれても文

句を言わないこと。選ばれた男以外

に略奪された際には、落選者は全力

で奪還に協力する、というルールを

決めたのでした。

そしてその座を射止めたのが、メネ

ラオスだったのです。

この約束のもとギリシア勢は団結し、

イリオスに攻め入ったのでした。




_________




話を戻しましょう。



メネラオスが名乗り出るとパリスは

一騎討ちに怖気づき、アプロディテ

の援助で危うく死を免れました。


しかしゼウスは海の女神テティスと

の約束を守るために、神々に戦いに

加わることを禁じました。



両軍は激しい死闘を繰り広げていき

ます。


総帥アガメムノンは勇敢に戦います

が負傷し、オデュッセウスらの諸将

も傷を負います。


アガメムノンはアキレウスに財宝と

未だ手をつけていないアキレウスの

捕虜の乙女ブリーセーイスを返すと

いう条件で許しを乞おうと伝令者を

遣わすのですが、聞き入れてはもら

えませんでした。



ギリシア軍はさらに窮地に追い込ま

れて行きます。


イリオス王の長子ヘクトルが門を破

り、敵軍がギリシア側の陣営に押し

寄せ雪崩入ってきました。


神々は寡勢してはならない取り決め

でしたが、ゼウスやアポロンはイリ

オス勢に味方し、妻へーレーやポセ

イドンはギリシア側を助けます。

神といえども超然としていられない

決闘が繰り広げられたのです。


激しい戦いの中でヘクトルは、ギリ

シア軍船に火を放ちます。


アキレウスの無二の親友パトロクロ

スはこのギリシア側の窮地に及んで

アキレウスの鎧を纏い、戦車を借り

て出陣します。

そして壮烈に見事に戦いました。

しかし、最後にはアポロンの助けを

得たヘクトルに討たれてしまいます。



パトロクロスの死を知ったアキレウ

スは、嘆きの声をあげました。


海の女神・母テティスは、海深より

立ち上がって、我が子アキレウスに

ヘクトルを殺せば、自らもまた死な

なくてはならない運命にあることを

告げます。

それでもアキレウスは、母の切なる

忠告を聞き入れることができません

でした。

やむなくテティスは火の神ヘパイス

トスに新たな武具を求めるべく立ち

去りました。




そこへ、イリオス軍が押し寄せ、ア

キレウスは雄叫びを上げます。

イリオス軍はその声に立ち止まり、

平原に陣を張りました。



パトロクロスの亡骸がアキレウスの

もとに運ばれます。



アキレウスは新しい武具を得て、今

ようやくにして頑なな憤りを解くと、

アガメムノンは自らの過ちを認めて

償いました。


ギリシア軍は戦を前にして食事をし

ますが、アキレウスはヘクトルを殺

すまではと、食べることをしません。



こうして時は到来し、アキレウスは

戦車に飛び乗ったのです。



すると、不死の馬クサントスは人間

の声を発して、アキレウスに迫る死

の運命を予告しました。



今やゼウスはアキレウスの受けた辱

めが贖われ、テティスへの約束が果

たされたので、諸神に戦闘に自由に

寡勢することを許すと、神々は再び

入り乱れて戦うのでした。


アキレウスはイリオス勢を追い込み、

河は、イリオス人の夥しい死体で塞

がって洪水となり、アキレウスを圧

せんとしますが、ヘパイストスが、

これを防ぎ、イリオス方は敗走して

場内に逃げ込みました。


しかしヘクトルだけは両親の願いに

も拘らず城外に留まって、ただ一人

でアキレウスを迎えます。


しかしアキレウスが近づくと恐れを

なして走り逃げ市を三廻りしました。


ゼウスは両者の運命を、黄金の秤に

かけました。

すると、ヘクトルの死が定められ、

アポロンはヘクトルを捨て、アテナ

はヘクトルの兄弟に姿を変え、彼に

偽りの励ましをしたのです。



こうしてアキレウスは、ヘクトルを

討ち取りました。

死の間際に、彼が埋葬を乞うたのを

拒み、アキレウスは死体を戦車に結

いて、船へと引きずって行きました。





無二の友パトロクロスの霊が現れ、

アキレウスに埋葬を乞います。


翌日、大きな薪の山が築かれ、多く

の犠牲と共に死体が焼かれました。


儀式はおびただしい数の太った羊と

足を引きずる牛の皮を剥ぎ、脂身を

取って、骸を頭から足の先まで包み、

周りに皮を剥いだ死体を積みました。

そして四頭の逞しい頸の馬を、声高

く嘆きながら、急ぎ火葬の壇に投じ

じたのです。ヘクトルの二頭の犬の

喉を切り、更に大いなるイリオス人

の十二人の貴い子を青銅で殺して、

火葬の壇に投じました。


これに続いて、葬礼に捧げるための

競技(オリンピアの起源)が行われま

した。



アキレウスはなおも嘆きをやめず、

眠りも食べもしませんでした。


毎日、ヘクトルの死体を戦車に結び

つけ、生き返ることのないパトロク

ロスの塚の周囲を駆け巡ります。ア

ポロンは死体を損傷より護りました。



ゼウスの命により、テティスは、ア

キレウスに暴戻(ぼうれい)な所行を

やめるよう勧めます。


また虹の女神イリスは、ゼウスの使

者としてプリアモス王の城に就き、

息子の死骸を贖い受けるように伝え

たのです。


そうして老王は、夜にまぎれて、ヘ

ルメス神に導かれ、黄金に満ちた戦

車で人知れず平野を横切り、アキレ

ウスの陣を訪れました。



大いなるイリオスの老王プリアモス

は、アキレウスの膝にすがり、多勢

の我が子を殺した恐ろしい殺戮のそ

の手に、接吻したのです。


「神さながらのアキレウスよ、この

わたしと同じく年とって呪しい老年

の敷居にいるあなたの父上を想い起

こして下され。父上をまわりに住ま

うものたちが苦しめ、禍と破滅より

防いでくれる者とてない。

だがあの方はあなたが生きていると

聞いて心に喜び、トロイエから帰っ

て来る愛する子に会いたいと、毎日

毎日望んでいる。だがこのわたしは

不幸の塊だ。 ー 我が子をあなた

から贖い受けようと、アカイア人の

船に来たのです。数知れぬ贈り物を

もってきた。神々を畏れ敬い、あな

たの父上を想い起こし、わたしを憐

れと思ってくれ。わたしはこの地上

のほかの人の子が未だかつて耐えた

ことのない、我が子を殺した男の手

に、この口を差し延べることを耐え

忍んだのだ。」


こう言ってアキレウスに父に嘆きた

いと思う情をかき立てたのです。


アキレウスは老王の手に触れ、静か

に押しやり、二人は想い出し、一人

は殺戮のヘクトルのために、アキレ

ウスの足もとに倒れ伏して激しく泣

き、もう一人は自分の父の、またあ

る時はパトロクロスのために泣き、

二人の嘆きの声が家中に響き渡りま

した。


「ああ不幸な人よ、まこと数々の禍

を心に耐えたな。どうしてあなたは

一人でアカイア人の船へ、数多すぐ

れた御子たちを殺した男の眼前に来

ることができたのだ。あなたの心は

鉄で出来ている。さあ、椅子におか

けなさい。嘆きながらも悲しみを心

の中に静かに休ませておこう。冷た

い嘆きは何の役にも立たないからだ。

苦しみの中に生きる、これが神々が

哀れな人の子に織り成された運命だ

が、神々御自身には悲しみはない。 

ー 」




暁に老王プリアモスは、亡骸をイリ

オスに運んで帰り、后へカベー、ヘ

クトルの妃アンドロマケー、ヘレネ

たちは嘆き悲しみ、こうして壮麗な

葬礼が営まれるのでした。






________________



参考文献


『イーリアス』

著 ホメロス

訳 高津春繁

出版 フランクリン・ライブラリー


ブリタニカ国際大百科事典

出版 TBS・ブリタニカ


ギリシア・ローマ古典文学案内  

著 高津春繁 斎藤忍随

出版 岩波文庫


『千夜千冊』

著 松岡正剛

出版 求龍堂



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