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穀雨 Grain rain

最終更新: 2019年8月19日



今朝は、大田市場に花を買いに行き


それからプールで1㎞泳ぎました。



さて4月23日のその日は京都本願寺


の高僧で科学者の永田先生に伴して


「ウィーン・モダン」展クリムト、


シーレ世紀末への道 内覧会。


国立新美術館に出向いたのです。








私はクリムトが相当に好きだけれど


クリムトのことは何も知らいない、 

ただ記憶の中では、裸体に羽織った


アトリエ着のスモックのローブが淫


らに映り、ボサボサの禿げ頭と円ら


な瞳が印象を残しています。だから


展示されたよれた服を認めたとき


その人が想起され、第七官界に大男


のフォルムが浮かんだのです。


画家のモチーフは、女でした。




グスタフ・クリムト

Gustav Klimt


(1862年7月14日-1918年2月6日)


ハプスブルク帝国のひとつだった、


オーストリア=ハンガリー帝国首都


ウィーンの世紀末を代表する画家


ウィーン分離派(Secession)創設者


エゴン・シーレものちに参加




ウィーン分離派には、


象徴主義とアール・ヌーヴォーが、


混在します。


クリムトの筆致には危険なデカダン


の香りが漂います。



11歳のクリムトは1873年のウィーン


万博に出展された、江戸時代中期の


尾形光琳の「紅白梅図屏風」に強い


衝撃を受けました。


それがのちに、金箔技巧を習得して


油絵と融合させる独自の世界を生み


出すことになります。


光琳が宗達に私淑したように、


クリムトは光琳に私淑したのです。


金色に近い植物染料「刈安(イネ科)」を塗った後、金箔を砕き溶かした金泥を重ね塗りしている



日本の欧米へのデビューは1867年の


パリ万国博覧会に江戸幕府と薩摩藩


と土佐藩が出品していますが、王政


復古した日本政府初の公式参加は、


6年後のウィーン万国博覧会でした。


日本館には日本庭園や神社も作られ


産業館では元より人気を博していた


浮世絵、団扇の工芸品が飛ぶように


売れました。


出展は、西洋に日本をお披露目する


機会を与えるものでした。


皇帝フランツ・ヨゼフ一世と皇后


エリーザベトも来場しました。


あの岩倉使節団も見学しています。



異文化がコンジャクションすると、


エキゾチックなディメンションが顕


現します。ジャポニスムは、欧米の


様式美に革新を与え、潮流に乗って


文化を変貌させました。



最後にもう一度、光琳とクリムトに


話を戻して終えましょう。


時空と生死を跨いだ邂逅は、思いも


掛ぬ19世紀末のヨーロッパでした。


ひとりは放蕩に身を窶し、ひとりは


耽美を重畳して纏っていました。


この特異なペインターの極まりない


身勝手な相関が、芸術の範疇外で起


こるならトラジコメディそのもの。



統合芸術、空間芸術、時間芸術の何


れも大げさに言ってしまうと善悪を


包括して、精神の解放と救われない


魂の居場所に直観が導く訳で、そこ


に芸術の本分がある以上、世の営み


に蜜を滴らせるかのように、無二の


僥倖にさえなり得るのです。



その甘美に浸ってなまめくかも ー



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