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  • KIMIÉ

形而上学

アリストテレスと『形而上学』




「形而上学」ってなんだろう



幼い頃からずっと絵描きになるのが

夢でしたが、結局は女優の道を歩む

ことになりました。それでもわたし

は自分を美術家だと思っています。

わたしが言う美術家とは、「美の術

の家」、つまり美の術を施す者とい

う意味です。

例えば演技はフレームの中に、ある

種の美をつくる役割を担いますが、

美の概念は時代と共に推移します。

20歳の時、当時ハーバードで日本文

学を講じていた板坂元先生にマルセ

ル・デュシャンの作品名が題された

ジョン・ゴールディング著『彼女の

独身者たちによって裸にされた花嫁、

さえも』を戴いて以来、20世紀に美

術を破壊した芸術家デュシャンの謎

解きにわたしは時を費やしました。

早々とダダイズムに別れを告げた

コンセプチュアル・アート、オプ・

アートの創始者デュシャンはいつも

インタビュー中で「形而上学」とい

う言葉を繰り返しました。

わたしはその意味が知りたくてアリ

ストテレス『形而上学』を開き、そ

れが哲学との邂逅になったのです。




アリストテレス




出自



はじめにアリストテレスの生涯から

ご紹介をしたいと思います。


アリストテレス(BC384年-BC322年

3月7日)は、マケドニア王国の支配地

と化していたイオニアの植民都市ス

タゲイロスで生まれました。父ニコ

マコスはマケドニア王アミュンタス

3世(ピリッポス2世の父)の友であり

侍医だったので、幼年時代のある期

間を宮廷で過ごしたと考えられます。


しかし幼少時に両親を亡くし、姉の

夫を後見人として育ち、17歳でプラ

トンの学園アカデメイアに入学し、

プラトンが亡くなるまでの20年間を

学徒として在籍しました。

アリストテレスはプラトンの甥スペ

ウシッポスが学頭を継ぐのをみて学

園を去り、学友でアッソス(アナトリ

ア)の僭主ヘルミアスの招きに応じて

移住(今日のトルコ領 トロイアのあっ

た地方)しました。そしてヘルミアス

の姪とも養女とも伝えられるピュティ

アスと結婚しました。

BC344年、ヘルミアスが、ペルシア

帝国に捕縛され不慮の死を遂げたの

で対岸のレスボス島に避難し、この

時期には、主に生物学の研究に取り

組んでいます。

そして342年からの7年間、マケドニ

ア王の息子の家庭教師に就くことに

なりました。





アレクサンドロス大王の師傅



マケドニア王ピリッポス2世はアリス

トテレスと2歳しか違わず2人は幼友

だったかもしれませんが、アリスト

テレスが42歳頃、当時13歳の王子ア

レクサンドロス(後のアレクサンドロ

ス3世 通称アレクサンドロス大王)の

師傅として招聘されたのです。

首都から離れたミエザにあったニン

フェオン(ニンフの神殿)に作られた

学舎で、後のエジプト王となるプト

レマイオスやマケドニア王となった

カッサンドロスら貴族の子弟数人が

共に学びました。

アレクサンドロス大王は「ピリッポ

ス2世から生を授かったが、高貴に

生きることは、アリストテレスから

学んだ」と言葉をのこしています。



マケドニアはピリッポス2世が王位に

ついてから、次第に周囲の諸国を手

中におさめ、やがて大帝国となって

いきました。

ピリッポス2世は当時の強国の一つ

だったテーバイで3年間を人質として

費やし、その間に政治や軍事を学び

ました。これをもとにギリシア先進

文化を積極的に取り入れ、国政の改

革や国力の増強に努めたのです。

そして紀元前338年、カイロネイア

の戦いでアテナイ・テーバイ連合軍

に勝利し、翌年にはスパルタを除く

全ギリシアを統一するコリントス同

盟を結成してその盟主となりました。


それまでのマケドニアは馬と木材、

穀物の産地として知られるだけで、

ギリシア人のような都市国家をなさ

ず、文化的にも遅れていたのでギリ

シア本土の人たちからはバルバロイ

(夷狄)扱いされていました。

しかし豊富な物的資材と頑健な農耕

人口とが、王制の下に統一され活用

されたとき、他のギリシア人への一

大脅威となったのです。

ペルシアとマケドニア、いずれの脅

威が大であったかは、巧な代表的弁

論家デモステネスとイソクラテスの

ような人によってまったく正反対の

見方がなされていたのですが、その

新興国家の王室からアリストテレス

は王子の教育係として招聘されたの

でした。

しかし史上第一の軍事的天才であっ

たアレクサンドロス大王の世界帝国

建設の事業には、アリストテレスの

影響は認められていません。

アリストテレスはギリシアの伝統的

なポリス中心の政治を考えていたか

らで、影響力をあまり大きく考える

ことは間違いだと、田中美知太郎は

指摘しています。




学園リュケイオン




アレクサンドロス大王が王位に就

くと、アリストテレスは翌年のBC

335年、アテナイに戻り郊外のアポ

ロン・リュケイオンの神域に学園を

創設しました。

学徒たちと歩廊(ペリパトス)を逍遥

(散歩)しながらディスカッションし

たので、逍遥学派(ペリパトス派)と

称されます。

マケドニアからの多大な援助もあり

学園は図書館、博物館、動物園を備

えていたといわれています。

またアレクサンドリアに建設された

有名なムセイオン(学堂・王立研究所)

は、これを模して設計されたと伝え

られます。

リュケイオンは、ユスティニアヌス

1世によって封鎖されるまで864年間

存続しました。

アテナイに戻ってからのアリストテ

レスは、充実した学究の生活を続け

ていたと思われますが、その平和は

12年目に破られることになります。

アレクサンドロス大王がバビュロン

に急死したからです。


そのことがアテナイに伝わると抑圧

されていた反マケドニア感情が爆発

し、アテナイ市民のうちにはアリス

トテレスを不敬罪で告発する者が出

てきたので、自らの書斎と自筆原稿

を忠実な高弟テオプラストスに贈っ

て学園を委ね、自身は対岸の島エウ

ボイアの母の出身地カルキスに引退

しました。


そして翌年のBC322年、62歳で病没。

アリストテレスには死別した妻ピュ

ティアスとの間の娘ピュティアスと、

正妻にはなりませんでしたが家事一

切をみたヘルピュリスとの間に息子

ニコマコスがいました。

遺言には、娘が成人の後はニカロヌ

にめあわせ、ヘルピュリスに財産を

分け、召使たちにも自由や金を与え、

自分と縁者の肖像をつくり、亡き妻

の遺骨のもとに埋葬してほしいと記

していました。




万学の祖



アリストテレスはソクラテス、プラ

トンとともに西洋最高の知性として

世界最大の哲学者と認知されてきま

した。

その視野は、当時における人知の全

領域に及び、百科全書的な諸著作は、

二千年にわたって人間の考え方を左

右してきたのです。

論理学、形而上学、神学においては、

その後の哲学的議論の交わされる基

礎を築き、物理学、心理学、生物学

における体系的著作の影響も同様に

大きく、現実世界と感覚領域を重ん

じ、科学の基礎を与える位置づけと

なり後代に計り知れない意義をもた

らしたことから万学の祖、諸学の父

とも称されました。


アリストテレス以前は哲学は科学的

な探究全般を指していました。

真理を理解するためのものとして、

不可分だったのです。

そもそも哲学と科学が区別されるよ

うになったのは最近のことで、科学

者という言葉が初めて用いられたの

は1840年です。

それまではプラトンもアルキメデス

もニュートンもロックも皆、哲学者

と呼ばれていました。それをはっき

り区別したのはカントです。


当時においては観察や実験によって

直接に自然を調査するより、思考と

論証による原理の発見に努力が払わ

れていました。

したがってアリストテレスの成果は

数学と天文学において著しく、それ

は今日でも利用されたり論点になっ

ているような基礎的仮説を生むもの

です。

その中の例外は医学で、アリストテ

レスの生物学的な思考方法は、すで

に事実の観察に基づいて知識を集積

していたヒポクラテスらの医学に多

くを学んでいます。それは父ニコマ

コスが医者だった影響によるもので

はなかったでしょうか。



アリストテレスは人間の精神活動を、

理論・観照(テオリア)、実践(プラク

シス)、制作(ポイエーシス) の3つに

大別しました。

そしてこの区分に基づいてあらゆる

学問・技術を「理論学」「実践学」

「制作術」に分類しました。

その中の理論学はさらに3つに分け

ています。

まずは独立的で不可分な存在一般で、

これは神を研究する学「第一哲学」

とも「神学」とも呼ばれました。

次に、独立に存在するけれど可変的

な存在ということで、現象的事物を

研究する自然学。

そして3番目は、独立に存在できない

けれども不可変的な存在として、数・

点・線・面などを研究する数学です。




アリストテレス主義



アリストテレス主義とは、アリスト

テレスの思想・哲学を継承する思想

的立場の総称で、嚆矢は直接の弟子

たちにあたる逍遙学派(ペリパトス派)

ですが、その文献は11~12世紀頃の

イスラム世界に伝播しました。

そして13世紀頃、ヨーロッパに逆輸

入され、教会や修道院で、キリスト

教思想とアリストテレス哲学をどの

ように調和的に理解するかが中心課

題となり、スクールの語源となるス

コラ学が盛んになりました。神学の

集大成『神学大全』を著したトマス・

アクィナスはその代表です。

そしてフランス・ドイツの近代哲学

の一部などもこれに該当します。


近代科学は、アリストテレスの自然

哲学を乗り越えようとした努力の結

果、生まれました。

現代文明は、アリストテレスの延長

と超克の上にあるといわれています。



それではこの辺で『形而上学』とは

どういった書物なのか、見ていくこ

とにしましょう。





『形而上学』




『形而上学』の編纂



アリストテレスの『形而上学』は、

著者が付けた題名ではありません。

『形而上学』は、一冊の本に纏めら

れていたものでもありません。

アリストテレスが主催した学園リュ

ケイオンでの講義やそのための草稿、

また時に応じて著された論文などの

集積をアリストテレス没後300年程

後のロドスのアンドロニコスが集成

し編纂したのが現在の『形而上学』

で、それは十四巻まであります。

それぞれ独立した巻を『形而上学』

という括りに配置編入したのは、編

者の研究によるものです。

『形而上学』が「アリストテレス全

集」のうちに編集されるまでに、ど

のような経路があったのか、その成

立過程を調べることは重要ですが、

紙面が足りませんので、詳しくお調

べになりたい場合は、出隆訳『形而

上学』「訳者解説」の丁寧な精査を

参照戴ければと思います。


『形而上学』は、このように一つの

計画のもとに一つの纏まった全体と

して著述されたものではないので、

内容を明記するのはわたしのような

素人には歯が立ちません。

それでも史上最高峰の叡智に触れる

ことは、人生において大変に有意義

であるばかりかこれに代わる至福は

ありませんので、努力して記述した

いと思います。




形而上学という名の由来



『アリストテレス全集』として今日

に伝えられている著作群は、学園の

第11代学頭だったロドスのアンドロ

ニコスが、アリストテレスの遺稿の

中から主要な講義・研究文献を抜き

出して編纂したものです。

先に述べましたが、大部分が本来公

開を予定せずに書かれた論文や講義

草案で、題名が付いていないものも

ありました。

ただいま問題にしているこの書にも

タイトルはありませんでした。


そしてアンドロニコスは著作全体の

編纂の過程でこの書を、『自然につ

いての書(タ・フィシカ)』の後に配置

したのです。

それは書の内容が自然の背後にあり、

自然を超越した超自然学を探究する

内容だったからです。


こうしたことから『タ・フィシカ』

の後の書ということで、便宜的に

「後に(メタ)」をつけ、『タ・メタ・

タ・フィシカ』と呼ばれたのです。


「メタ」には「超えて」という意味

もあったので、偶然にもこの仮の題

名がぴたりと一致して、変更されず

にそのまま定着したのです。

そしてそれがその内に短縮されて、

『メタフィシカ』となり各印欧語の

語源となりました。

英語 メタフィジクス(metaphysics)




それでは日本語の「形而上学」とい

う言葉はどこから来たのでしょうか。


それは『易経』繋辞上伝のなかに見

出すことができます。



『易経』は五経(易経・書経・詩経・

春秋・礼記)の一つで、占いの理論と

方法を説く書ですが、「繋辞伝」は

予言を超えた深淵な哲学を説くもの

です。

ちなみに繋辞とは、「解釈の言葉を

書き綴る」という意味です。


では出典の部分を見て見ましょう。


「形而上者謂之道 形而下者謂之器」


訳:

形より上なる者これを道と謂い、

形より下なる者(有形のもの)これを

器と謂う。



「道」とは世界万物の本質、根源で、

形のないものをいいます。



解釈:

形而上なるものすなわち現象以前の

目に見えない無形のままの陰陽の変

化を道と謂い、形而下すなわち現象

面において把握し得られる形象を器

と謂う。


「道」は「器」の根源であるのに対

し、「器」は「道」の発展形です。


自然界・感覚界をつくり上げている

事物を形而下と言い、自然界並びに

感覚界を超越する事物を、形而上と

いっているのです。



形而上と形而下の区別が中国思想で

強調されるのは、宋学(新儒教)を大

成した朱子(12世紀)による理気二元

論です。

朱子は感覚的、物質的な世界の現象

を説明する原理は、形而下的な「気」

であり、そのような現象の背後に必

然的な根拠を求めてゆくときに達成

されるものが、形而上的な「理」に

ほかならないと主唱しました。


「形而上学」という言葉は、東洋哲

学の背景に照らして理解した場合、

わたしたちが直接に経験することの

できない超感覚的な原理を研究して

ゆく学問を意味します。

これはこの学問が、西洋で理解され

てきたところと一致します。


日本では明治時代に井上哲次郎が、

メタフィジクスの翻訳を、上記から

採用しました。

中国では「玄学」と翻訳しましたが、

日本から逆輸入される形で現在では

「形而上学」が用いられています。




アリストテレス自身は、形而上学を

「第一哲学」と位置付け「第二哲学」

を自然哲学(現在の自然科学)としてい

ました。

形而上学は、個別の存在者ではなく

存在するもの全般に対する考察です。


それは感覚や経験を超えた世界を、

真実在としその世界の普遍的な原理

について理性的な思惟により認識し

ようとする哲学の一分野です。




『形而上学』を開く



「すべての人間は生まれつき、知る

ことを欲する。」


『形而上学』は、この有名な言葉で

始まります。



第一章の全体の目的は「知恵と名付

けられるものは第一の原因や原理を

対象とするものである」ことを示す

ことです。


第一巻では第一の原因や原理を研究

することが、最も真に「知恵を愛求

すること」でありこれこそ「我々が

求めている学」のなすべき任務であ

ることが章を追って示されます。


最も真に知恵を愛求する者が哲学者

であり哲学者の求める究極的、根源

的な原因・原理が、第一哲学すなわ

ち形而上学です。




最高の知恵は純粋に高潔であり、神

聖です。


科学はみずからが立てた「問題」の

解決を目指すのに対し、形而上学は

存在の「神秘」に関わります。


形而上学は完成した知識の体系では

なく、人間の絶えざる自己超越を通

じて追求される自己理解・自己実現

の道なのです。




主題



形而上学は、現象界の奥にある世界

の根本原理を純粋思惟や直観により、

その成り立ちの理由や、物や人間の

存在理由や意味など、感覚を超絶し

たものについて考えます。

対立する用語は唯物論です。


アリストテレスの形而上学における

主題の中でも最も中心的なテーマは、

存在の概念です。

それは「存在者であるかぎりの存在

者」(「全体としての存在者」すなわ

ち「存在とは何か」)を問う学問を構

想し、その成果は「存在」に関する

一切の場合に適用されるものですが、

感覚の対象とはならない、事物から

離れた不滅の特殊な存在(=神)を主題

にしています。

これをアリストテレスは「神学」、

より多くは「第一哲学」と呼びまし

た。



時間の本性と変化は不可分です。

時間が存在する以上、変化は常に存

在します。

変化が永遠に存在するとすれば、そ

れは何らかの現実態(エネルゲイア)が

引き起こすはずです。

しかもこの現実態はそれ自身、永遠

でなければなりません。

こう考えるとまず永遠なる始動者が

あり、これは質料をもたない実体で

あるとみなければなりません。

もし質料をもつとすれば、変化の可

能態(能力 潜勢 デュミナス)をも備え

なければならず、永遠不変ではあり

えなくなります。


永遠なる変化とは、宇宙の最上層、

恒星群の付着した天球の行う円運動

です。

地上の変化の原因となるこの円運動

の原因は何か?

それは、神があたかも宇宙的エロス

の究極的対象であるかのように考え

られ、それみずからは動くことなく、

一切の他者から「愛されるものの如

く」に、他者から志向される形で、

他者を動かす者として、アリストテ

レスは、これを「不被動の動者」と

捉えました。


すなわち一切の運動の目的因かつ動

力因として第一動者たる「不被動の

動者」が存在すると思考したのです。


これ以外にも、価値についての比較

可能性の根拠として、「最高善とし

ての神」の存在を推論し証明します。


その神の活動とは思惟にほかなりま

せん。

人間の思惟は、通常自己についての

思惟を含むとはいえ、思惟そのもの

とは別の、思惟の対象についての思

惟です。

これに対して神の思惟とは、永遠の

真理のみの観想なので、永遠の実在

たる自己自身をのみ対象とする「思

惟の思惟(ノエシス・ノエセオス)」

といえます。

このような観想こそ神にならうべき

人間にとって、最高の活動であると

主唱しました。




中核



アリストテレスの第一哲学以来、形

而上学の中核には、存在論が位置し

てきました。

存在論すなわちオントロギーは、ギ

リシア語の「存在するもの=オン」

と「理論=ロゴス」が語源です。

すなわち、存在についての考察から

始まったのです。


パルメニデスは「ある」とはどうい

うことかという、存在の問題を明確

化し、存在の一義性を主張した最初

の人物でした。

それに対するアリストテレスの位置

づけは、存在の多義性を認めて体系

化した最初の人物です。



哲学は神話を一歩深め、そこに論理

的解釈を与えたことに始まりました。

わたしたちを取り巻いている天体や

森羅万象、そうした自然物は何から

どのように生まれたかを探求する自

然哲学に始まったのです。


アリストテレスは『形而上学』のな

かで「最初に哲学に携わった人たち

の大部分は、もっぱら素材のかたち

のものだけを、万物の元のものとし

て考えた。」と述べました。

そしてこのような哲学の創始者は、

タレスであると記しています。

タレスは万物の元は水であると規定

した自然哲学のイオニア学派の祖に

あたる人物です。

タレスはあらゆる個物に内在するあ

る普遍的なものを求めていたのです。


アリストテレスにあってはプラトン

のように、その普遍的なあるもの(プ

ラトンではイデア)を、感覚的な個物

の外に求めるのではなく、むしろ自

然学者たちのしたように、個物の内

に求めました。


それは、それぞれの感覚的な個物に

内在しながら最も真に実在する具体

的実体たらしめているところのある

普遍的本質、形相実体を問い求める

仕事だったのです。



実体(ウーシア)とは何か。

「われわれはまずこの実体について、

その何であるかを、第一に、そして

最も主として、否、むしろただひた

すらこれのみを探究しなければなら

ない」と『形而上学』の中でアリス

トテレスは語っています。

なぜなら「事実、昔においても今日

においても、常に追及され、常に問

題とされてきたことは、存在とは何

かという問題であり、それは詰まる

ところ、実体とは何かという問題に

帰着する」と述べています。


アリストテレスはまずは抽象度の高

い存在問題から始め、最終的に実体

の問いに収斂していく探究の仕方を

しました。



実体は、表面的変化があってもその

基体として存続し、主語となって述

語にならないものです。

事物の付加的属性ではなく、その本

性的規定なので、本質と同一視され

ます。

本質とは、あるものがそれによって

そのものである根拠と考えられ、こ

れはさらに厳密に事物の根本存在と

しての形相(エイドス。プラトンでは

イデア)と同一のものとされます。




存在の原因・原理



アリストテレスは第一哲学を、存在

全般の究極的な原因となる普遍的な

原理を解明するものとしました。


原理、始源、根拠の意を表す言葉を

アルケーと言いますが、古代ギリシ

アの哲学者は万物の根源を何らかの

アルケーに求めたので、哲学はもと

もと形而上学的なものとして始まっ

たのです。


ソクラテスやプラトンも現象の背後

にある真因や真実在の唯一の相(イデ

ア)や魂を探求しました。


アリストテレスは肉体から独立した

実体としての霊魂を説くプラトン主

義のもとで学び、次いで霊魂の道具

としての肉体に関する理論を練る生

物学時代を経て、最後に霊魂を肉体

の形相と見る思想に達しました。




四原因説



純粋に事物の真理を知ろうとする学

問の一般的な課題は、事物の原因を

認識することです。


アリストテレスはそれがなぜ存在し

ているのか、なぜ生じたのか、その

原因を知らなければ事物を知ってい

るとはいえないと考えたのです。


そして事物の存在の原因には四原因

(Four causes)があると思考しました。


存在をめぐる四つの意味を検討する

ことは、実体の研究であると見做し

て考察したのです。



アリストテレスによれば、タレス、

デモクリトス、ピタゴラス、ヘラク

レイトス、プラトンなどの哲学者は

みな四種類の原因について包括的な

説明を試みており四種類の原因以外

の原因をあげていないことから自説

の立証を試みました。



それらは形相因、質料因、始動因、

目的因の四種類でこれを四原因説

といい、これはアリストテレス哲

学の基礎概念です。



〈四原因を「家」で例えた場合〉


形相因:形姿 (設計図、機能、構造)


質料因:材料 (土、木、石)


始動因:作業 (大工、道具、技術)


目的因:役割 働き (住居)



それではひとつずつ、簡潔に解説し

ます。


形相因 (formal cause)

事物をまさにその事物たらしめるも

の。そのものが何であるか。本質。


質料因 (material cause)

事物が生成するための素材となるも

の。 存在するものの物質的な原因。


始動因 (efficient cause)

事物の運動、生成、変化を引き起こ

す力。可能的存在としての質料を完

全現実態へもたらすもの。そのもの

の運動変化の原因。作用因。動力因。


目的因 (final cause)

事物の存在・生成・行為をうながす

原因とみなされ、事物がそのために

あるところのもの。そのものが存在

し運動変化する目的。




結び



「わたしは何のために存在するのか」

と尋ねる人は、 自己の目的因を訊い

ていることになります。


アリストテレスは人間の営為には、

すべて目的があり、それらの目的の

最上位には「最高善」があるとしま

した。


最高善とは人間にとって幸福それも

卓越した徳(アレテー)における活動

のもたらす満足のことです。

幸福とは、単に快楽を得ることでは

なく、政治を実践し、または人間の

霊魂が固有の形相(エイドス)である

理性を発展させることです。

それこそが人間の真の幸福であると

説き明かしました。


そして理性的に生きるには、中庸を

守ることが重要であるとしました。

中庸を実践するには恐怖と平然に関

しては勇敢を、快楽と苦痛に関して

は節制を、財貨に関しては寛厚と豪

気を、名誉に関しては矜恃を、怒り

に関しては温和を、交際に関しては

親愛と真実と機知への努力が必要と

唱えました。





アリストテレス哲学は、二千三百年

以上を経た今も少しも色褪せるもの

ではありません。

図らずもわたしたちは今まさに世界

の秩序が大きく変動する只中に立た

されていますが、量子化する機械に

身を委ねる社会の出現に惑い不安を

隠すことはできません。

人類が有機的な明日を見いだし生を

存続するために不可欠な自然の背後

に存在する超自然の存在、ノエシス

・ノエセオスへの考察によって、わ

たしたちは儚くも人類の一員として

未来を切り開く使命を、一人一人が

帯びていることを示唆する学と捉え

ることができます。

自分自身のうちなる思考と魂が独自

に思惟することの重要さを教示する

と共に、知の愛求によって初めて真

の自由人として生きる、その会得を

可能にする真に尊い書が『形而上学』

なのです。




_______________



付録


アリストテレス著作目録


今日的な配置を決めたのはロドスの

アンドロニコスです。


・論理学

 (『オルガノン』と総称。

   思考の「道具」とい意味)

・自然学

・形而上学(第一哲学)

・倫理学

・政治学

・制作術(弁論術・詩学)




近代における「アリストテレス全集」

の標準的な底本は19世紀にベッカー

が校訂した「ベッカー版」ですが、

3世紀前半頃に活躍した哲学史家・

ディオゲネス・ラエルティオスが、

紀元前二百年頃の学者ヘルミッポス

の信頼に価する記録に基づいて伝え

ている『ギリシア哲学者列伝』の中

で列挙している目録は、アリストテ

レス著作目録の中で最も有名です。



その中には今日の我々が見ることの

できない書物が数多あり「書簡集」

を除いても143もの書が並べられて

います。

しかしこの著書目録に『形而上学』

はありません。

5~6世紀頃のへシュキオスの『名辞

集』のアリストテレスの項には著書

目録として187(196とも)の書名が掲

げられ、44(53とも)著も多く加わっ

ています。

その経緯はここでは割愛しますが、

ディオゲネス・ラエルティオスから

へシュキオスまでの二、三百年の間

に、アリストテレスの著作がより多

くその存在を確認されるようになっ

たからです。




ディオゲネス・ラエルティオスによる

アリストテレス著作目録


対話篇

1 正義について、公平について

2. 詩人たちについて、詩人論

3 哲学について

4 政治家について

5 弁論術についてまたはグリュロス

6 ネリントス

7 ソフィスト

8 メネクセノス

9 エロース論

10 饗宴

11 富について

12 哲学のすすめ

13 魂について

14 祈りについて

15 生まれの良さ(優生)について

16 快楽について

17 アレクサンドロスまたは植民市

18 王制について

19 教育について

20 善について

21 プラトン『法律』から抜粋

22 プラトン『国家』から抜粋

23 家政について

24 友愛について



一般向けに24の対話篇がありました

が散逸し、断片から復元を試みる研

究は19世紀以降活発になっています。


特異な例としては、1890年、偶然に

エジプトの砂漠の中から発見された

『アテナイ人の国制』があります。

また学園のペリパトス派が記したと

考えられている偽書も多数あります。




論理学

25 受動あるいは受動状態について

26 諸学問について

27 論争的な議論について

28 論争的な議論の解決

29 ソフィスト的な議論の分類

30 反対のものについて

31 種と類について

32 特有生について

33 弁証法的推論に関する覚書

34 徳に関する諸命題

35 上記の反対命題

36 哲学用語について

37 諸々の感情或は怒りについて

38 倫理学

39 構成要素について

40 学問的知識について

41 根本原理について

42 分類集

43 分類論

44 問と答えについて

45 運動変化について

46 命題集

47 論争的推論の諸命題

48 推論

49 分析論前書

50 分析論後書

51 (論理的な)諸命題について

52 より善いもの(トポスの1つ)

53 イデアについて

54 トピカの前に置かれた諸定義

55 トピカ

56 推論

57 推論に関すること及び諸定義

58 選択されるべきもの 付帯的なもの

59 諸々のトポスへの序論

60 定義のためのトポス論

61 諸々の感情(の分類)

62 分類論

63 数学論

64 定義集

65 弁証法的推論

66 快楽について(の諸問題)

67 命題集

68 自発性について(の諸命題)

69 美について(の諸命題)

70 弁証法的な吟味対象となるテーゼ

71 エロースに関する諸テーゼ

72 友愛に関する諸テーゼ

73 魂についての諸テーゼ



倫理論(政治学)

74 政治学

75 テオプラストスに似た政治学

76 正当な行為(権利)について



創作学(弁論術・詩学)

77 緒弁論術書からの集録

78 弁論の技術

79 弁論術教本

80 緒弁論術書からの集録

81 方法論

82 テオデクテスの弁論術書の集録

83 作詩(創作)術論考(詩学)

84 弁論術的略式三段論法

85 大きさについて

86 略式三段論法の分類

87 語法・措辞について

88 勧告について

89 (弁論術書からの)集録



自然学

90 自然について

91 自然論

92 アルキュタスの哲学について

93 スペウシッポスとクセノクラテス

  の哲学について

94 『ティマイオス』及びアルキュタス

  の著作からの抜粋

95 メリッソス学説への反論

96 アルクマイオン学説に対する反論

97 ピュタゴラス学派への反論

98 ゴルギアス説への反論

99 クセノパネス説への反論

100ゼノン説への反論

101ピュタゴラス学派について

102動物について

103解剖図録

104解剖図録からの抜粋

105合成的動物について

106神話上の動物について

107不妊について

108植物について

109人相学

110医療論



数学

111単数について

112嵐の前兆

113天文学

114光学

115運動について

116音楽について



備忘的著作

117記憶論

118ホメロス問題

119詩(創作)に関する諸問題

120アルファベット順に配列された

  自然学上の諸問題

121(上記のものに)追加的な諸問題

123日常的な諸問題

124デモクリトス書籍からの諸問題

125磁石について

126天体の合

127(諸問題の)雑録集

128 種類別問題集



中間的著作

129判例集

130オリュンピア競技の勝利者

131ピュティア競技の勝利者

132音楽について

133ピュティアに関して

134ピュティア競技者名簿の検討

135ディオニュシア祭の演劇勝利者

136悲劇について

137上演作品目録

138金言集

139共同食事規定

140風俗習慣集

141カテゴリー論

142命題論

143 158の国家の国制(国制史) 民主制

  寡頭制、貴族制、独裁制の種類区

  分に基づいて



特殊的個人的著作

144書簡集

145叙事詩

146エレゲイア調の詩




_______________


参考文献


『ブリタニカ国際大百科事典』

 項目:アリストテレス 細井雄介・訳

        今道友信

 項目:形而上学 稲垣良典


『世界の名著』アリストテレス 

 責任編集・田中美知太郎

 中央公論社


『形而上学 上』『形而上学 下』

 訳・出隆

岩波書店


『ギリシア哲学者列伝』(中)

 ディオゲネス・ラエルティオス

 訳・加来彰俊 

 岩波書店


『易経 下』

 訳・高田真治 後藤基巳

 岩波書店




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